二枚の卒園写真 子どもたちと共に

 寝屋川市あやめ保育園にて10年間保育園生活を送った私は子どもたちと、撮った二枚の卒園記念写真がある。

 1990年9月江東会理事長、エンゼル保育園園長就任。
寝屋川市の保育園生活の始まりは、寝屋川市公立保育園民営化計画を、地元の信頼の厚い民間法人が、受諾したが、残念ながら法人の描く施設建築を諦め、再度、振り出しに戻った募集に対して、私に、受けてみてはどうかと声をかけてくれた知人がいた。当時、募集人員に対し、18件応募し、寝屋川市の主査、園長先生を中心に各保育園に見学に来られた。

 その中で社会福祉法人江東会が、選出されたのである。私は、主査M氏に伺った言葉は、見学した中で「保育園は小さいけれど、温かさを感じられた」という言葉であった。その言葉は、自信と励みになった。

 私が、馴染みのない寝屋川市の民営化保育園を引き受けようと決心したのは、東大阪市エンゼル保育園は三階建てで敷地も狭く園庭のない条件下で、私を始め保育士たちは毎日のように子どもたちと《公園ジプシー》をしてきたので子どもたちに広いところで思いっきり遊ばせてあげたいという思いが強かったのである。

 700坪の土地を寝屋川市は無償で、あやめ保育園の園庭として借用できる約束である。私は、この広い土地にどのような園舎を建て、遊具を購入すべきかと胸を弾ませた。
まず園舎の設計をどこに頼むべきか。当時、エンゼル保育園少子化対策補助金により子どもの急激な増加により定員数120名に変更。隣地が空いたので新たに土地購入計画を立てて園舎も建て替え時期と重なり、私は、大忙しであった。

 大阪国際大学短期学部の非常勤講師(乳児保育)を後期だけで終わることになったのは、残念であったが、仕方のない状況であった。しかし、後期だけでも学生たちに好評で終われたのは、現役の幼稚園教師の保護者を学生たちに経験談を、紹介したことである。

 私には、その後の職員確保にメリットがあったことを実感する結果を得た。私を大阪国際大学非常勤講師に推薦してくださったのは、東大阪市前白鳩保育園理事長・園長の栗本広美先生である。

 今も私は、栗本広美先生への感謝の念を忘れたことはない。
私が、デザインを勉強してきた道のりで出会った先輩の話の中で、神戸に武田設計事務所の先生は大学の教授でもあるが、非常にユニークなデザインをされる方だと聞いたことを思い出し、武田設計事務所に設計、建築は多田建設にお願いすることになった。
エンゼル保育園は、東大阪市白鳩保育園の建て替え時、デザインされたベース新川、昇設計事務所を栗本広美先生に紹介された。

 小柄だけどスポーティなヒロミ先生は、お顔の愛らしさは子どものように素敵な方です。
ご自身の保育園への取り組みはそのスピードたるや並はずれていた。ご自身の園舎の建て替えは当時、現代的でお酒落な新しい取り組みと保育と高齢者とのコラボを先駆けた内容でお手本になりました。東大阪市民間保育協議会では女性では初めて会長に抜擢された方です。

 建築は2か所、同時に始まり、あやめ保育園は私の提案した屋根を赤色材質のものを見つけるには、多田建設の建築責任者は大変御苦労されました。赤色の屋根色を地域の住民の方から「朝から赤色の派手な色を見せられたら疲れる」苦情も聞きました。でも市役所の方のご尽力で我慢していただくことができました。この時の設計、建築は私の人生の中で最も忙しくもあり、充実した日々でもあった。

 二か所の建築を終え、落成した時の喜びは、子どもたち、保護者への贈り物として私は、幸せであった。あやめ保育園で、落成後、エンゼル保育園の子どもたちを広いあやめ保育園に招待した時、一人の男児は、園庭に立ち大人っぽい表情で「ここは公園です」と大興奮の声で叫んだ言葉が今も耳に残っている。エンゼル保育園の保護者は、エンゼル保育園の園庭に対して誰も不満を言う方は、いなかった。むしろ、(子どもたちを色々な公園に連れて行ってくれるからありがたいわ)と好意的であったことを今も忘れられない。

 あやめ保育園の子どもたちの卒園式は、何回目だろう。私は、卒園式の写真を二枚撮るように考えたのは、一枚目はお行儀よく撮る。もう一枚は、子どもたちも保育士も思いっきり楽しいポーズをしてくださいとお願いすると面白がってくれた。
この二枚を裏表に挟んだ写真を卒園記念写真とした。

 私の願いは、子どもたちの裏の写真を成長した時、保護者に見つけてほしいなと願うのは子どもたちの保育園時代、こんなに元気に自分を思いっきり出していた子どもの姿を知ってほしいと願うからです。

2023年6月8日 吉田公恵

Soraさんと猫さんの話

Soraさんと出会ったのは、Facebookに訪問してくださったのがきっかけである。Corona禍が緩やかになってきた環境の中で観光に行かれた文章はガイドさんのように的確だったので関心を持ったのだが、私も何度か行ったフランス、ベトナムの紀行文が非常に端正で興味のそそられる描写であった。

ところが、Soraさんの身上書には、職歴は平成18年6月30日よりとあるので再度、じっくり読みこんでみると過去にはテレビドラマ、映画の演出などのプロデュースをされてきたのではないかと思われる節がある。NHKの日曜美術館のことも書かれてあるので私の視野にはなかった物語があるのかと思い、より興味を掻き立てられた。

浜田正平 load bridge(Japan) Quality
     職歴 EXPRESSWAY (Japan)
     新しい仕事スタート2018年6月30日
     Quality Engineer(品質技師)
学歴 出身校 Brown University
学歴 出身校 Stanford University
連絡先 https://www.diwahouse.co.jp(大和ハウス工業オフイス)

Soraさんのエピソード

 去年、車で通勤途中に拾ったのですが、その日、車で道端に浮浪猫がいるのを見ました。周りにも誰もいません。奇妙な話です。猫は私が、駐車するのを見て、私に向かって登ってきました。私は、その足が、怪我をしたのをみて、ペット病院に連れて行きました。
治療した後、猫はずーっとついてきて、私は、猫を連れて帰って今まで暮らしています。

Yoshida

貴方の優しさに甘えられた幸運な猫さん!
正直に言っていいですか。 私は動物が苦手です。
子ども達の仕事を長くしてきた私ですが・・・
素敵なお部屋の猫さん!

Sora   

猫さんは、とても可愛らしく癒しをあたえてくれます。機会があれば、猫さんに触れあってみることで苦手意識が、和らぐかもしれません。

Yoshida  

うーん。難しいですね。
私は、本来、生き物に冷たいのではと思います。

Sora

大丈夫です。人によって趣味が違う。無理に自分を責める必要はない。楽しいことが、一番大切だ。

Yoshida  

ダメです。生き物を趣味にしては。

Sora    

仕事は、定年退職したのですか?

Yoshida  

私には、定年退職はありません。仕事が生きがいだった。最後の仕事として道筋を付けたかった。

Sora    

誰もが仕事をしなければならない。
仕事がないと空虚になる。

≪Soraさんの言葉≫

成功した男は必ず良い車と高価な腕時計を持っていなければならない。
腕時計は男の気質を表し車は男の地位を表している。

(いやな奴!でもカッコいいから許してやるぜ )

Soraさんの優しさに甘えられる幸運な猫さん!
猫さんも人間のように様々な顔立ちがあるのです。
Soraさんの飼い猫さんは、目はクルッと丸い。
でも体は、Soraさんと同じくデカイ。
まるで昔からのSoraさんの愛猫、住猫のように、エラそう。

60歳の誓い イヤリングの話

 大阪保育部会の海外研修に参加したのは、何時の頃だろう。
40代だったと思う、総勢何名だったかも記憶にないが、男女取り交ぜて20名かな?
Memberの中に80代の女性理事長先生がいらした。

 スケジュールは粛々とすすみイタリアに向かう前日の予定は、アウシュビッツ収容所。第二次世界大戦中、ユダヤ民族の虐殺。600万人がアウシュビッツ収容所へ貨車に詰め込まれ送られるという過去の悲惨な現実を私も折に触れて思い出すことがある。
「アンネの日記」を教えてくれたのは誰なのか覚えていないが、夢中になって繰り返し読んだ手記である。

 ニュースの映像で幾度か見たことのある背の高い黒く煤けた門を潜り抜けると祈りへの燭台がある。高齢の理事長先生は、誰よりも早く燭台の前に立ち目を閉じて両手を合わせて静かに合掌された。私は、その姿に深い感動を覚えた。
硬い石の壁に刻まれた文章は、虐殺されたユダヤ民族への贖罪だろうか。白の大きな花束も飾られてある。

 高校生の頃、「アンネの日記」を読みアメリカ映画も見た。隠れ家の天井裏のガラス窓から外を眺めると鳥たちの群れは自由に飛んでいく姿に呟いた言葉を鮮明に浮かぶ。
「鳥さえ自由にどこへでも飛んでいくのに人間である私たちはとじこめられたまま」
アンネ・フランクは天井裏の狭い場所に膝を抱えて座り、ガラス窓に向かい呟いた言葉を忘れることはない。(台詞通りかどうか記憶に乏しいが)

 しかし、私は理事長先生のように燭台に向かいすぐさま手をあわせる所作など思いつかなかった。

 ユダヤ民族について、忘れることのできない歴史が、そのまま生きていることだったのだと。長い間児童福祉事業をされてこられた理事長先生の思いの深さに改めて気づかされたのである。

 夜の食事会に理事長先生は、ロングドレスをお召しになってイヤリングを付けて来られた。「私はね、60歳になったら耳に穴を開けてイヤリングを付けることに決めたのよ。最後まで児童福祉事業をすると決心の誓いを忘れないためにイヤリングを60歳からつけるようになったの」と言われた言葉を私は心深く刻んだ。
60歳になると心身ともに年寄りだから仕事をできるか、不安だった時代である。

 「人生100年時代」と言われる現代は、理事長先生は先を見越して愛らしく知的に成長された後継者に託す準備を出来上がった安堵感からお孫さんとともに研修旅行をされたのだろう。現代の働く女性の問題を示唆される内容は2023年の現代の課題に繋がる問題の視点であったことを今にして思う。

モーニングサービス

東大阪市近鉄石切駅前《街路樹》

 どこの街にもモーニングサービスを提供している喫茶店がある。Corona禍の中で客数が減り始めているも店主たちは値段を振り絞って工夫を凝らしてくださっている。 

 東大阪市石切の《街路樹》に久しぶりに足を延ばしてみた。以前は、お昼のお弁当がお気に入りで時々、通ったが、最近はご無沙汰していた。

 久しぶりに会ったレストランの女性チーフの満面の笑顔が嬉しい。モーニングを注文する。

 程よくこんがり焼けたパン二つ、サラダはキャベツの千切りをてんこ盛りにブロッコリーが乗せられて、軽く酢を主体のソースがかけられている。卵を主体のオムレツは、ポテトの柔らかな食感を大切に包まれて柔らかくおいしい。

 終わりに珈琲のお替りができるのです。お値段は550円。ボリュームからして安いなあと瞬間感じ、昨今の野菜、卵も高騰しているなか、頑張っている感が、こみあがり涙が零れそうになる。最近、年齢のせいか涙もろいのです。

近鉄上本町百貨店一階並び カルムカフェカバリエ

 近鉄上本町改札口に面して百貨店の並びの端に喫茶ルームがある。

喫茶ルームの趣は幾度か変わったように記憶するが、最近ではようやく落ち着いたように見える。

 客足もそれなりに増加傾向がみられるナーンテ自分の店でもないのに失礼ですね。

 モーニングサービスをオーダーするとレモンテイーは二杯飲める量の入った瀬戸物の茶こしに砂時計が付き、レモンの輪切りが2枚、砂糖は別の入れ物に入り、大皿に私の好きなチーズたっぷりのトースト、別皿にはたっぷりの野菜サラダ。ゆで卵、が小さなカップに入りそれらが並ぶ中に、私の大好きな赤ぶどうジュースが置かれているのです。

ウエイトレースさんは(ジュースを先にお飲みくださいね)と声をかけてくれます。そして以前は、コーヒーのお替りができたけれど今は、100円いただいていますとのこと。客に優しいメニューと量は客足が途絶えませんね。若いカップル。中高年のカップル。仕事前のサラリーマン。女性ひとりモーニングも多い。650円

サンドイッチ&カフエ PEER(仲間、対等、同輩を意味する)

 最近出会ったPEERは決して広くはないけれど、掃除が行き届き清潔感と勤務する女性と男性は黒の仕事着にオレンジ色のキャップとエプロンを付けて可愛らしさを際立てせている。白い壁には、小さな額装に淡い色で描かれた女の子の絵が飾られています。

 静かに流れる軽音楽の音が、静かすぎず、大きすぎず程よい耳触りが良いのです。とってもシンプルなお店ですが、レジのところには障碍者の方が作られた可愛らしい小物を木箱の中で売られています。

 まず店先に立ち注文をしてお金をレジにて払います。その順序は他のカフエとは違いますね。モーニングの支払いを済ませてポイントカードを付けてもらい、壁際に張り付いた二人掛けのテーブルから外の人の行き交いが見えて退屈しないのでお気に入りの席になりました。

 朝のモーニングは、珈琲とサラダはレタスに細かく刻んだ人参が乗っかっています。こんがり焼いて二等分された一枚パン(技があります)半熟卵をベーコンに乗せてモーニングはそれだけです。値段は400円(内税36円)

 お昼のランチは、色とりどりのサンドイッチ300円でセロフアンの袋に包まれています。スープはその日によって変わりますが、フライドポテトにケチャップを付けて食べるか、サラダでも選べます。200円

 飲み物は、珈琲、レモンテーィ、ジュース200円で飲めます。お昼のランチは、700円ですね。ジュースを200円で買ったのですが、美味しく体に優しいしいものを他社から仕入れているようです。二階か三階に調理場があるようで職人さんが入れ替わり、たち替わり運んでこられます。

 カフエに運んでこられる職人さんたちは必ず、入退室時に必ず頭を下げられるので一度、お聞きしました。

「皆さんが、カフエのドアーで入退室時、頭を下げるのは社長さんがそのようにすることを希望していらっしゃるのですか」

「いいえ、先輩たちが以前からそうしているので私たちもそうしているのです」なるほど、PEERの意味に納得しました。「仲間、対等、同輩を意味する」場所は伏せさせてくださいね。まだ知られたくない私の秘密の場所です。

2023年4月1日 吉田公恵

四つ眼の幸せ?

 私の住むマンションのドアーをバンバン激しく叩く音がした。訪問者は必ずインターフォンで顔を見せて応答するのが常識である。私は、叩き方が普通ではないので無視をした。

 その後、甲高い声でマンション中に聞こえる大声を張り上げてヒステリックに叫びながら私を誹謗中傷する言葉を吐き続けている。
私はもうだめだ!限界だ!胸の内で叫び、マンションから逃避しなければ私のいのちを自ら引きずる下ろす結果を招く。
遺書を残したクラスでいじめにあっていた優秀な中学生のように。この場所から逃げ出さなければ・・・怒涛のように押し寄せてくる感情を留めようがない。
荷物を整理しよう。不動産屋さんに告げなければ・・・ここから早く飛びださなければ。
私は、恐怖感が走り身震いしながらインターフォンの前にへたり込んだ。

 どのくらいの時間は過ぎたのだろう。マンションの玄関越しに何名かの女性の話し声がインターフォンから聞こえる。
私を誹謗中傷する甲高い笑い声がひと際目立つ女性の声が恐ろしくて立ち上がれず震えが止まらない。
するとインターフォンが鳴り、スイッチを押すとマスクをつけた青年の顔が映った。
「どなたですか?」と尋ねたが、傍らで話す女性たちの声がおおきく名前は聞き取れなかった。青年は片手をあげて「心配をしなくても大丈夫ですよ」と伝えてくれているように見ええた。「女性たちの話に惑わされないで」と合図してくれているようにも思える。青年の暖かい眼差しと敬礼のポーズは私の精神状態の不安定さは私の部屋番号を知らない筈だが、知っていたことに善意に考えすぎかもしれない。しかし、私をひと時でも救い上げてくれた青年の暖かさに涙ぐんだ。

 冷静になってから考えるとその人は警察官だったのではと思うのは敬礼が専門職の印象を持ったからだ。
 女性の叫び声で誰かが、交番に通報したのではと考えた。

 私は、もうこのマンションで生きていく自信はない。
Corona禍が始まって3年以上、私は「保育園を3軒も持ち贅沢に暮らしている」「3階から毎日、監視しているから知っている。毎日綺麗にお化粧をして贅沢な洋服を着て男に会いに行っているのは間違いない」「男が大きなカバンを下げて吉田の部屋に入っていった。主な内容である。
この日より以前に正式に私は、掃除管理員女性より聞き書面にした。この内容について法的に明らかにするときが来ればこのないように隠されていた事実を私は出す覚悟にある。
誰が、この事件の当事者であるかすべて公にして私の名誉回復を主張することになる。私は一刻早くこの場所から逃避しなければ最悪の自死への選択に追い込まれるのではと焦り引っ越しする資金も用意できないままマンションから追われたのである。

※私に誹謗中傷をマンション中に聞こえるように喋った女性はその日か2、3日たっていただろうか。私が電車から降りて来るのを待っていたらしく鼠色のようなどす黒い顔色で私に近づいてきたが。私は、避けて違う道からマンションに帰宅した。

「公園で遊ぶ子どもの声がうるさい」という一人の住民からのクレームの始まりは、長野市青木島遊園地廃止の結論になったが、多くの人たちに疑問を残した。

市長は、一人だけの希望ではないと順序を追って辿り着いた結果だと後に知らせている。

クレームを出した住民も幼い頃は、公園の遊具で遊び、ドッジボール、サッカー、野球、砂遊び、ゴム飛び遊びなどをして楽しんだのではないだろうか。

《児童文学作家の石井桃子さんの言葉》

子どもたちよ/子ども時代をしっかりたのしんでください/おとなになってから/老人になってから/あなたを支えてくれるのは/子ども時代のあなたです。

多くの大人たちは、公園で夢中になって遊び、お母さんの呼ぶ声で一目散に家に帰り夕食を食べ、宿題をしながら、公園の向こう側に見えるとばりにきらめく星を眺めた思い出を持っているのではないだろうか。

子どもの頃、ピュアな感受性を持っていた多くの人々は、corona禍の中、ワクチン問題を確たる情報であるか信頼できる術もなく翻弄され、あらゆる分野で経済活動は中小企業、小規模商店、基幹産業までも停滞と後退を余儀なくされ毎日の生活の厳しさに国民はなすすべもなく、犯罪はあらゆる形で生産されている状況が続く。

子どもも若者も中高年も現実生活を如何に向き合い生きるべきなのか。

私自身も生きる希望を揺らぐのを必死で食い止めようとしているが、何故こんなに辛いのだろう。

2023年3月29日 吉田公恵

三つ眼の幸せ
英語の先生のNickname

 中学校時代、英語科先生のnicknameはWonderful grand Motherと学生たちに人気と尊敬を込めて呼ばれていた。
 白髪の混じった髪を細い首下で纏めgrayのsweaterにgrayの tight skirtがとてもお似合いだ。
 ところが、私は英語の文法が難しく高校生に進級したときロシヤ語クラスを選択した。
ロシヤ語は単語同士の組み合わせで簡単な意思表示ができると思ったが、年月を経てわかったのは高校生のロシヤ語は初歩だったのだと気付いた。ロシヤの文豪トルストーイの重厚且つ壮大な物語を単純なロシヤ語の文法では描けるはずがない。
 ロシヤ語の男性教師は、ロシヤ語民謡を原語で歌い学生たちにも歌わせながら授業を進めるので楽しく哀愁に満ちたロシヤ民謡と授業の楽しさが今も時々、思い出が蘇る。
 結局授業の選択をロシヤ語で英語はなかなか上達せず大阪芸術大学保育科入試英語(ヘレンケラーの日本語訳)とあったので単語から想像力を駆使しながらなんとか切り抜けられた。

 今日は、ある団体の英語教室授業の日、無料に惹かれて通い始めて4回目かな?ところが本日の授業は、別の場所になり道に迷い、ウロウロしているうちに可愛らしい女子高校生に巡り合った。
 土曜日に授業を終えて帰宅途中だったらしくきりっとした小さなお顔にお団子ヘヤーがとても似合う。
彼女に場所を尋ねるとスマホを取り出し、教えられていた〇〇会館がみつかり、向かい側に(大きなお洒落な○○さんの家)もありここまでくると何とか探せるようなので「ここまで案内していただいたからもう大丈夫」と伝えると彼女もまた先に出会った若者たちと同じく最後まで付き添う意思を申し出てくれた。

奈良文化高校に在籍する(たかさだ)という苗字のお嬢さんは言葉遣いも丁寧で優しさに溢れている。

2023年3月  吉田公恵

二つ眼の幸せ

 出会った女性は、天王寺区の鶴橋から上本町に上る路上である。耳に嵌めていたイヤリングのキャッチャーはどうしたことか片耳の分が外れない。キャッチャーは上本町近鉄ユフラビル2階にあるアクセサリー売り場で購入したのだが、片耳だけ刺さったまま外れず二日経て仕方なく購入店に行くと店員さんも心配して天王寺区にある「おおた皮膚科」を探してくれた紙片を持ち「おおた皮膚科」を求めてスマホを頼りにドンドン進み鶴橋駅まで行ってしまった。

 歩き疲れて、何度か入ったことのある鶴橋駅に近い喫茶店で一休みしてまた歩き始めたが、上本町から歩いてきた向かい側の道筋に「おおた皮膚科」があるようである。

「高齢者の一途な思い込みは、時には失敗を自ら手に入れることになる」目安だったコンビニは見つかり中年の女性に聞くと「わからない」という返事。次に若い女性が出て来たので聞くとすぐ歩き始めた。

「あのーおおた皮膚科ってご存じないですか」

「病院までご一緒しながら探しましょう」

さりげなく言う清楚で爽やかな若い女性の申し出に驚き感動を覚えた。

 若い人の足はスピードがある。私はついていくのは精いっぱい。歩きながら会話を交わす中で夕陽丘短期大学食物栄養学科を2023年3月には卒業して兵庫県の保育園に栄養士として就職が決まっているそうだ。

病院に無事に辿り着き、診察が終わるまで待つと申し出てくれたのは高齢の私が、無事に帰宅できるか心配だったのだろう。 正直な気持ちは待っててもらいお食事を御馳走したいと思ったのだが、病院玄関のガラス戸に映る若い彼女の生きる姿勢の美しさに心を打たれ、何時かまたお会いできる日があればと・・・願いながら。続く

吉田公恵

 

優しい若者たち…四つの幸せ

 10月の中頃、近鉄永和駅近く、東大阪市立永和図書館前を道路を挟み通いなれた喫茶ルームレスポワールがある。昭和初期に建てられてのだろう。
 木材をふんだんに使った落ち着いた飴茶色の色調は時を経てより一層深みを増し、シックな雰囲気が好きで時々、立ち寄ることがある。
永和駅のホームから階段を下りて改札口のすぐ横に金属製の黒の縦型ボックスがひっそりと立っていることに気づいた。
 珍しい物好きの私は何だろうと近づくと男女の若者が、ボックスに向かいスマホを差し込もうとしている。
「あらっ!これはなに?」
「スマホの充電器ですよ」若者が教えてくれた。
その日は、司法事務所に行く用があり、急いでいたのでスマホの充電を終えず飛び出し、空き容量が少ない事を気になっていたので便利なものが設置されたのだなと感心して教えてもらうことにした。
 二人は丁寧に説明をしながら進めてくれる。充電が終わりお金を払う段になってクレジット番号を入力するように言われたが、文字を囲むところが小さくて見えづらい年齢なので二人にお願いすると「僕たちで良かったけれど誰にでも簡単に教えてはいけませんよ」二人はかわるがわるに私に注意を与え、充電器の注意すべきことを教えてくれた。
 女性は足立さんと言い男性の苗字も教えてくれたのだが記憶にとどめることのできない年齢の私です。でも男性は奈良近畿大学の学生だといった言葉が残り昔、妹と弟が小学生の頃、近大付属小学校に通学していたことを思い出し、親近感を覚えた。
やっぱり!近畿大学の学生さんたちはイケてるよ❣
 有難うございました。 優しい若者たち…四つの幸せ 続く…

帰ってきた絵 no-name

私の絵をたいそう気に入り、友人の家の壁に掛けられて10年?20年?かな?経て私の手元に戻してくれた。

長い間、彼女の家の壁の花として飾られていた絵(スケッチ)デザイナー学院時代、18歳の私は水彩で若い女性の顔から首筋をさらりと描いただけだが、色褪せることなくみずみずしさを保ち、ターナー水彩絵の具の偉大さ?を再発見した気分に高揚した。

帰ってきた絵(スケッチ)との再会が嬉しくて夢の祭り社のGalleryを管理していただいているナセバーナル社IT職人林様に連絡を取り新たに入稿する旨を伝え作品を送付した。ところが折り返し頂いた作品名はno-nameと付けられ名前をどうされますかと問われたが、それを訂正する気持ちになれなかったのはむしろ新鮮でお洒落な印象を持ったからである。

no-name名無しの絵は凛として長く友人の家の壁の花のように存在してきたことに私は、肩書などなくとも一人の人間として存在する多くの人々と出会ってきたことを改めて思い出したのである。

それは新鮮な発見であり、謙虚に生きる姿勢で人生を乗り越えてきた人々に影響を受けた自分自身の考えのありようを思い起こすきっかけになった。

#NO HAEART NOSNS(心無い誹謗中傷を広まらない行動をしよう)総務省が出している行動指針を思い起こされたのは、政務官杉田水脈議員の侮辱行為は性暴力被害者ジャーナリスト伊藤詩織氏に対して“枕営業の失敗ですね” “見苦しい”品性のない“ ”情けない“ に対し20回以上の”いいね“を押して最高裁の「限度を超える侮辱行為」であると判決が下りた。

杉田水脈議員は国会で末だ追及されても謝罪も辞職もせず最高裁の判決を検討中であると繰り返している。塩村議員、源田議員の追及に対しどのような憲法違反として反論できる材料があるのだろうか。

マンションの小さなcommunityに住む私は現在「精神的に限度を超える侮辱行為」受けている。

裁判に持ち込むには精神的、肉体的、年齢的に限度を超える行動を起こすには年を取りすぎた。

スマホに優秀な中学生がクラスの中で長い間いじめにあい「胸が苦しくて息ができない」状況を親に残した遺書にあったという。それは私自身にも中学生の彼と同じ症状が出ていることに気づかされた。

大人の私でさえこんなに苦しいのに少年の胸にどれ程の痛みと息を吐くのも不安と恐怖感に苦しかっただろう。思うといたたまれない。

私は戦わずして泣き寝入りし鎮静化する間に住民の皆さんへ刷り込みを徹底されるのではと恐怖感を覚える。

「根拠のない話をまき散らす悪質な行為に腹が立ち、時々、どこかに思いきってぶつけたい思いが湧」夜半に目が覚めてふと消えてしまったら楽になるのかなと思うことがある。 CORONA禍のなか、心を病む人々。根拠のない行き過ぎた行為への思いは目が覚めるには時間がかかるのか。いや時間の中で変わらない思いを持つほうが人生が楽しいのか。

戻ってきた絵(スケッチ)と共に思い出すのはデザイナー学院を卒業した19歳。

大阪市天王寺区にある美術館近辺にあった画廊喫茶。名前は忘れたが、無料で壁に掛けられる貸し画廊で個展を開いた私は大胆ですね。

帰宅すると私の絵を一点購入したいと画廊から連絡があった。

その作品は若い女性が、髪を左側に流し、グリーンのワンピースの腰から襞のあるスタイルで体が流れるように傾く姿が男性には魅力的だったのかもしれない。

若い私には女性の体の線を考えることまで及ばなかった筈だが、桃山学院大学の英語講師をされている方で早速、訪ねて来られた。作品を包む体裁を整える間もなく「僕が家に帰ってやります」と言って代金を置いて作品を胸に抱きそそくさと帰られた。

「作家があまりに若いから驚かれて帰ったのね」弾む高い声と明るい笑顔は亡き母の姿を私の玉手箱から時々、取り出して思い出に浸る幸せな瞬間である。

私の描いた絵は今も健在だろうか。

若い父親の大きく真っ白なタオル

 近鉄生駒での用は思いの外、早く終わったのでスケジュールの変更を考えた。
ひとまず昼食を近鉄上本町百貨店12階の「つきひ亭」にて済ませて永和図書館で北朝鮮に拉致された経験のある蓮池透氏の「再び半島へ」の続きを読むために時間を使おうと考えた。

 近鉄生駒駅から急行に乗り上本町に直行したが、日曜日なのに人出は多くなく電車も混んでいない。corona禍だが、4回目のワクチン接種を受けているせいか、日曜日に出かける私の気持ちに余裕がある。

「つきひ亭」につくと一望を見渡せるカウンター席に案内された。
子どもの頃、母は父と揉めた日は寂しいのか、腹立ちを抑える為なのか、私をよそ行きの洋服に着替えさせて近鉄百貨店12階のレストランに連れられてきた思い出が蘇る。

 当時、百貨店12階のレストランは高級感のある雰囲気を漂わせていた。
今は、大きく切り取られた窓際には、木で拵えられたカウンター席が並び上本町の殺風景なビル街が見渡せる。

 ご飯の上に甘さのある味付けのローストビーフが乗っかって、鮮やかなグリーンのアボガドをにぐるりと切り込みを入れてその上には新鮮な生卵がどろりと取り巻く。

 付け合わせはサラダを敷いた上にコロッケが二つ並ぶ。デザートは小さな栗のケーキに赤ブドウジュースのセットで2,160円を支払う。昼食にこの勘定を支払う日は夜の食事を抜くかあり合わせで簡単に済ます。

 最近では私を覚えてくれるようになったウエートレスさんは「またおいでくださいね」と暖かい言葉かけをしてくれる。

 電車に乗る前に近鉄上本町駅のトイレに入るのが決まりだ。
私は、このトイレが安心なのは掃除が行き届き清潔感があるからだ。
お掃除してくれる清掃員に出会うこともある。私は、必ず掃除される方にお礼を言うことも忘れない。
ところが、今日は思いがけなく赤いお洋服を着た瞳がくるりと大きな4歳ぐらいの可愛い女の子と出会った。 周りを見ると母親らしい姿は見えない。「一人でお手洗い大丈夫?」と聞くと「だいじょうぶ」と言うが気になって待つことにした。
待っていたが遅いので心配になり、ノックをすると女の子はタイミング良く出てきた。
女の子は、洗面所の前に立ち水道の栓をひねり指のひとつひとつを丁寧に洗い、石鹸の出るほうも押して洗い終わり、おせっかいおばさんが、ハンカチを出すと「お父さんがあっちで待っているの」と手の水しぶきを振りながら駆けていく。
白いシャツにベージュのパンツをはいた若い父親が真っ白な大きなタオルを広げて待っていた。

 女性用のトイレに入れない若い父親の幼い娘への愛情としつけの行き届いた子育てを垣間見たようで胸が熱くなった。

 父と子を見送る私を父親は見向きもしなかったが、女の子は何度も振り返りながら私を見つめ近鉄西大寺行き乗り場方面のエスカレータを降りていく赤と紅のまじりあった落ち着いたあかの洋服を着せた若い親のセンスとしっかり者の女の子と出会えた今日は素敵な一日になった。

2022年10月8日  吉田公恵

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