
新年を祝うお飾りや食物の献立に供えるお膳を考えて準備する食物の約束通りを以前は考えてきましたが、昨今では自分なりの膳と飾りで省略するようになりました。それはそれで楽しいかなと思う自分を受け入れています。
約束の献立の意味合いの無視は皆さんから見ると抵抗があるかもしれません。
今年度は、お花部分を思い切って変えることでお花の費用をカットしました。
私の家になにかの折に来てくれた血族の甥っ子、姪たちが来てくれた日のカラー写真を飾りに入れてみました。みんな若くてとても明るく元気です。
右端に挟んでいる写真は、兄、妹、弟、は国家の違う3か所の場所にて生活をしておりますので、お正月に会うことは叶いません。
この写真は東大阪市六万寺町に住んでいた頃、山の中腹にある権現寺より少し下がって降りたところに頑丈な大石を組まれた土台の上に200坪の土地の二階家に日本風の庭園70坪に日本庭園風に鯉が泳ぐ池があり、父の意向で若い頃の母を椿の花に譬えていたらしく椿の木を植えられてありました。
一階の客間にはマントルピースがあり真っ赤な絨毯が広がっています。
外国の書籍がはいったイギリス製の頑丈な書棚に母が買い求めた洋書がはいっていました。黒のピアノも置かれてあり、二階は周り廊下に囲まれた寝室と3客聞にお手伝いさんの部屋がありました。広々とした廊下は籐の椅子にテーブルが3客分ずつ置かれてガラス窓から見える大阪府平野を見渡せる景色は壮大でした。
右手側に置いた写真の前方はこの写真では写っていませんが、2面のテニスコートがあり土、日はテニスコートに高校の学生たちが練習に来ていました。私も父にいわれてテニス部に所属したこともありましたっけ。
父は、現在の上皇后様ご夫妻のご結婚が、ニュースになった時、テニスコートでお出会い、結ぼれたことに憧れてテニスコートを作らせたのです。
自宅のある右上方の坂道を上ると200坪の葡萄畑がありシーズンになると会社の労働者が動員されて玄関の冠木門前に置かれた木目のたらいに刈りこまれた葡萄の実を踏み潰す黒紫色に染まる母の白い足が、今も思い出される。
熟成されたワインは、3000坪の会社の敷地の一角に作られている貯蔵庫に運ばれワインの瓶詰をトラックに積み込まれて、販売会社に運送される風景を今も鮮明に記憶が浮かぶのは何時の頃だったのか。
久しぶりに過去の思い出が蘇り、写真にある甥っ子、姪っ子には過去の話で、想像できないだろうけれど、あの家が残りテニスコートもあれば、きっとみんなで集まり家族とは何か、血族の生きるためにどうあるべきか、これからの明日をどのように生きていくべきか… 喧々諤々と盛り上がっただろうか