Nao and Sayaka Love Story

Nao君とSayakaさんは、同じ中学校の先輩、後輩で出会いました。
どうやらSayakaさんは、優しいNao君をとても気にいったようです。
登下校時、お話をするようになって親しくなりました。
Nao君は、エンゼル保育園の卒園児でお家が、近くにあり、いつもニコニコ笑顔の優しいお子さんでした。

二人の交際は、中学校の先輩、後輩で出会い、ライン交換から始まり、二年の付き合いになりました。Nao君の職業は学校を卒業後、桜クレパス株式会社に軽度B1知的障がい者雇用者枠で就職しましたが、現在では、20年間に及ぶ歳月の職業実績を積んでいます。給与面でも実績職員と変りません。

Sayakaさんも知的障がい者、B2の診断をされていますが、キリン堂全国的に薬局を展開されているが、草むしり等の軽便な清掃業も営み、障がい者雇用枠で地方への出動は会社の車にて送迎を受けて従事していましす。

二人の日常生活の交際が1年を過ぎた頃、Nao君のママは東大阪の菱江の駅前ロイヤルホストにNao君とSayakaさんを呼びだし食事をしながら悦ちゃんママが切り出しました。

「ねえ、Nao君とSayakaちゃん二人で一緒に住まない?」

「Nao君と一緒に住みたい!」

 Sayakaさんは即座にきっぱり言ったそうです。

二人に同棲から暮らし始めてはどうかなって勧めたそうです。(まあ!なんと太っ腹な悦ちゃんママ! ?) Nao君のママは二人の息子を授かりましたが、女の子に恵まれなかったのでSayakaさんと出逢えたことがとても嬉しかったそうです。SayakaさんもNao君のママをえっちゃん本名悦子さんなので悦ちゃんママと呼び、実の親のように慕っているそうです。

Nao君のママは、一生懸命、二人で生活できる場所を探し、3室にキッチンのある生活場所を用意したそうです。
それは、Nao君とSayakaさんの生活が誰にも依存しないで生活できる範囲を考えた悦ちゃんママの心づかいでした。「Naoクンは家具、電化製品、住宅の家賃の全てを仕事してきたお金を悦ちゃんママに預金をして来たのです」

身体健全な二人であっても生活をすることは、厳しい時代です。
悦ちゃんママは所帯道具等マンション借りいれ、生活全般の用意はNao君の預金の全てで用意できたそうです。Sayakaさんは自分で貿った物はテレビを乗せる2000円の台車だけだったと悦ちゃんママは複雑な表情を浮かべて漏らしていましたが…Nao君とSayakaさんの深い愛の育みを信じ真剣で真面目な二人を同棲させて生活が始まると、悦ちゃんママはSayakaさんに学研出版社が出している、学研2年~3年のブックを買い与え漢字の練習、ひらがなもスマホのなかでとても整った言葉を習得できるようにしました。その文字は、プログの中でも紹介しますね。お料理の経験のないSayakaさんは毎日することは難しいので外出して食事する日を決めて、自宅でお料理する日も決めました。

お正月とお盆には温泉にいく。

お正月は。蛸さん、だし巻き、コーンクリームシチューを作りSayakaさんは3回5000円を包みNao君のお父様にプレゼントしてくれました。
二人の夫婦として生活が順調に進み始め、Nao君のママは、喜びが増しました。Sayakaさんのお家から結婚祝いとして6万円贈られてきました。

二人の愛らしい生活する姿をみて悦ちゃんママは二人の結婚式を上げさせることを考えると胸がときめきました。

2020年6月27日(土)ベルクラッシックで結婚式を挙げました。
ガラス窓の広々としたパックヤードから差し込む光は、二人を祝福する暖かな喜びが満ちて厳かな空気は緊張をはらみ悦ちゃんママは涙が一粒落ちたように想いました。
Corona禍の中でお客様をお呼び出来なかったのですが、私が、主賓という名目を頂き、結婚式にお祝いの言葉を述べさせていただきました。

エンゼル保育園を卒園された青年の結婚式を挙げるために招かれると言う心躍る喜びに満ちた日、私はとても大きく深い喜びを味あわせて頂きました。
Nao君の同僚の方でしょうか。皆さんのお祝いの言葉を録画で送ってくださいました。Sayakaさんの友人もお二人いらしていただきました。

ベルクラッシックの広く美しいお庭でお写真を何枚も撮らせていただき柔らかで和やかな一日を忘れることが出来ません。

2022年8月温泉に行った思い出、夫婦三人で2回旅行に行った思い出はNao君、Sayakaさんには忘れることはないでしょう。

9月20日、日曜の振替日10時にSayakaさんの病死を知らされた私は、あまりの驚きと悲しみに我を忘れて泣き叫びました。言葉にならない。
二人への思いに、私は、耐えがたい悲しみと憤りが溢れます。Nao君のママと抱き合って泣き崩れました。

Nao君とSayakaさんの結婚生活は、1年と3カ月です。

私は、NaoくんとSayakaさんのベルクラシックの結婚写真ブックを幾度眺めたことでしょう。気持ちが落ち込むとき、二人の結婚式を喜ぶ姿を見ると心が和み私は元気になれました。だのに私は、幾度もみた二人の結婚式ブックを文章に乗せるために探しても探しでも出てこないのです。大切過ぎて何処へしまったのでしょうか。見つからないのです。手持ちのNaoくんの写真をいれましたが。

残念です。

Sayakaさんのお母様はSayakaさんが亡くなった10ヶ月後、後を追うように他界されたとお聞きしました。Sayakaさんが実家へ帰るたびに悦ちゃんママへのお土産としてお菓子を袋いっぱいに詰め込み持たすのは悦ちゃんママが、介護の仕事をされている同僚の幼いお子さんへのお土産を持たしてくれるのです。

Nao君とSayakaさんの優しいLove Storyを皆さんに知ってほしいと願いました。現代社会では真実の愛を見つけられなくて多くの若者が、生きる道に迷っていることが悔しいのです。自分の生きる道筋に自信をもって見つけて欲しいのです。真実の愛情を見つけて生きて欲しいのです。

Nao君は今も、Sayakaさんの処に自転車に乗り行き話しかけます。

「Sayaka! 君は本当に優しい人だったね。」その言葉は悦ちゃんママに今でも何ども伝えるそうです。rSayakaはやさしかったね」

泰泉寺霊園福万寺

あらいけんた君がくれた幸せ

昼食を行きつけの店ですませて、瓢箪山駅に近づくと粉雪が、舞い降りてきた。空を見上げるとブルースカイの空は拡がり、ポカリと白い雲の塊がある。
粉雪はまばらに降りてきて私の頬に伝わる。ふと涙が零れそうな痛みを私の胸を射したが、駅のホームの階段を上り、ホームに降りると駅員のアナウンスが響く。

“乗降されるお客様はホームにご注意ください”

最近、私がホームに佇むとアナウンスが響くのは偶然だろうかと思い、私の姿が、アナウンス室からみえると寂しげに見えるのだろうかと考えてしまうこともある。電車の普通列車が来たので、乗り込むと電車の中は小学生の賑やかな声が聞こえて来た。

隣り合わせた小学生に声をかけると、遠足ではなく社会見学だと元気な言葉を返してくれた子どもたちは枚岡駅で整列をして降りて行き、私は、額田駅で降りて上方に昇らず駅のホームに沿う道を歩き出したが、自分のこれからの生きていく道筋を如何にすべきかと考えると暗く見えない道に胸がふさがる思いがよぎった。

坂道を登り始めた時、私に、こんにちはと声をかけてくれた少年がいた。

「あらつ!私を知っているの?」
「知っているよ、ぼくのお菓子を上げたでしょ?」
「私にお菓子をくれたの?」
「そうだよ、僕のお菓子を友達にあげたのを、おばさんにその子はあげたんだよ。」

そう、思い出しました。私の住む場所から近いところに小学生の少年、少女の家が並び、その家の子どもたちが学校の帰宅時、お家に入る前に女の子も男の子もおやつを食べたり、交換したりするのを見たので、私は勝手に仲間に入りこみ、「わたしにもちょうだい」とおねだりすると仲間うちでは一番高学年の子どもが笑いながら私にくれたのです。思い出しました。

日曜日、今日は、その時にお世話になったあらいけんた君にお返しのお菓子を持って行こうと考えていました。家の前に二度行ったのだが、留守のようで、時間をおいて再び行き声を張り上げて

「ここのお家にあらいけんた君っていませんか?」

と叫ぶと男の子が二階の窓から顔を出して降りてきてくれた。

「この間ね。私にお菓子をくれたでしょう? だからお返しに来たのよ」

と言ってお菓子を渡そうとすると、

「一つだけでいいです」

と断るので私は、

「用意したお菓子はお雛祭りの女の子用の中身になっちゃったけれど受け取ってくれたら嬉しいな」

と伝えると一つだけでいいですと何度も繰り返す子どものお行儀の良さに私はなんとお行儀のよい躾をされているお母様だろうと感心した。そして、彼のお母様は子どもの話を聞いていらしたのかなと改めて私は母親の子どもに対する細やかな部分まで聞くことを家庭の中でされているのだろうと思い、家庭内での親と子の幹をしっかり結ぼれている親子の在りかたを考えさせられた。

礼儀正しい男の子に再度、お願いしてお菓子の袋を受け取って貰えた私の心は、温かく安らぎを覚えた日曜日の午後になりました。けんた君ありがとう。
お母様もありがとうございました。

2025年1月1日新年を迎える私達の明日は

新年を祝うお飾りや食物の献立に供えるお膳を考えて準備する食物の約束通りを以前は考えてきましたが、昨今では自分なりの膳と飾りで省略するようになりました。それはそれで楽しいかなと思う自分を受け入れています。

約束の献立の意味合いの無視は皆さんから見ると抵抗があるかもしれません。

今年度は、お花部分を思い切って変えることでお花の費用をカットしました。

私の家になにかの折に来てくれた血族の甥っ子、姪たちが来てくれた日のカラー写真を飾りに入れてみました。みんな若くてとても明るく元気です。

右端に挟んでいる写真は、兄、妹、弟、は国家の違う3か所の場所にて生活をしておりますので、お正月に会うことは叶いません。

この写真は東大阪市六万寺町に住んでいた頃、山の中腹にある権現寺より少し下がって降りたところに頑丈な大石を組まれた土台の上に200坪の土地の二階家に日本風の庭園70坪に日本庭園風に鯉が泳ぐ池があり、父の意向で若い頃の母を椿の花に譬えていたらしく椿の木を植えられてありました。

一階の客間にはマントルピースがあり真っ赤な絨毯が広がっています。

外国の書籍がはいったイギリス製の頑丈な書棚に母が買い求めた洋書がはいっていました。黒のピアノも置かれてあり、二階は周り廊下に囲まれた寝室と3客聞にお手伝いさんの部屋がありました。広々とした廊下は籐の椅子にテーブルが3客分ずつ置かれてガラス窓から見える大阪府平野を見渡せる景色は壮大でした。

右手側に置いた写真の前方はこの写真では写っていませんが、2面のテニスコートがあり土、日はテニスコートに高校の学生たちが練習に来ていました。私も父にいわれてテニス部に所属したこともありましたっけ。

父は、現在の上皇后様ご夫妻のご結婚が、ニュースになった時、テニスコートでお出会い、結ぼれたことに憧れてテニスコートを作らせたのです。

自宅のある右上方の坂道を上ると200坪の葡萄畑がありシーズンになると会社の労働者が動員されて玄関の冠木門前に置かれた木目のたらいに刈りこまれた葡萄の実を踏み潰す黒紫色に染まる母の白い足が、今も思い出される。

熟成されたワインは、3000坪の会社の敷地の一角に作られている貯蔵庫に運ばれワインの瓶詰をトラックに積み込まれて、販売会社に運送される風景を今も鮮明に記憶が浮かぶのは何時の頃だったのか。

久しぶりに過去の思い出が蘇り、写真にある甥っ子、姪っ子には過去の話で、想像できないだろうけれど、あの家が残りテニスコートもあれば、きっとみんなで集まり家族とは何か、血族の生きるためにどうあるべきか、これからの明日をどのように生きていくべきか… 喧々諤々と盛り上がっただろうか

2025年1月1日を迎えるにあたり

年の暮れに整理していましたところ、コスモス組担任保育士、吉田美帆先生のお別れのメッセージが出てきました。

何と楽しく美しいメッセージをくださっていたのかと改めて美帆先生の勤勉さ、問題の分析力にいつも喜びを感じさせていただいていたことを思い出して感慨深いものがあります。長年、保育園のお仕事をさせて頂きましたが、保育士さんとの出逢いは喜びも悲しみも思い出す事が多くあり、自分自身の感性を豊かにしていただくことが、多々ありました。

その中でも吉田美帆先生は印象深い方です。私と同姓であることから親近感は有りましたが、彼女の印象は、それだけではありません。

おっとりしながらも優しさが作り物ではない大人としての雰囲気を醸し出され、問題の本質をきっぱりと分析でき出来る能力をお持ちでしたことは、10年以上過ぎてもその印象は私の中で変わらない方です。

どのような家庭でお育ちになりどのような育ちの過程をお持ちなのか、あらためて知りたいと思うのは、私の人間分析は職員の雇用時に欠かせないものが印象の重要性であることを今も私の脳裏をかすめ思い出されます。

現代社会で保育土さんたちの様々な姿は私の人間探索の基本なのでしょうか。

皆様に良いお年でありますようにお祈りもうし上げます。

現物のメッセージを出させていただきます。最近の社会の現実は、男子も女子も大人からどのように隠さなければならないかと考えなければならない状況があります。なんという厳しい状況を大人が作り出しているのでしょう。

どうか皆様にお願いします。子どもたちが安心して生きられる社会をサポートしていただけるよう考えて実行を致しましょう。よろしくお願い致します。

2 0 2 4年12月22日 日曜日 吉田公恵

松田写真機店 プリント

生駒駅近鉄百貨店1階 “幡”

 今日も生駒百貨店一階レストラン併用の雑貨店 “幡” 。白色の柔らかさを感じる落ち着いた佇まいに惹かれてやってきたのは、もう数えきれないほどである。

 日本情緒漂う静かな異空間の雰囲気を私は、なぜだろう、心がささくれている時ほど、来ると心が癒され落ち着くのは・・・

 壁際に井上博道氏の白黒の写真が白い壁際に何枚か貼られてあるが、画廊の趣にも感じられて私は異邦人のように包まれるのだ。

 ランチは、和食2種類を魚と肉をメーンにする献立が用意されて、色合いが水彩画のような淡く優しげな味付けは胃に無理がない。

 ランチの時聞が終わるとカレーライスとハヤシライスを用意されているが、他店には見られない独創性のあるカレーライスとハヤシライスのデザイン? が、私には、なかなかユニークで美味しく楽しいのだ。

 ウエイトレスさんたちは、奈良に伝わる地場産業である江戸時代よりさかんに織られている蚊帳(風は通すが蚊は通さないと言う布地)黄色の布をターバン風に包みお給仕される姿の横顔、後ろ姿がとても素敵です。仕事をされている様子はいつも穏やかなそれでいてきりっとした専門的な仕事をしているという甘えのない人たちのように映る。

引用:BAN INOUE SHOP

 お食事を用意される仕事ですから髪の毛が落ちないように配慮、されているのは清潔感があっていいですね。

 夏の蚊帳の布は、蒸し暑い日本の夏にはとても快適に過ごせます。

蚊帳で作られている生活雑貨、布製の軽いパック等、お帽子、ショール等それにお菓子類、お茶その他の多種多様に広がり、土日は老若男女様々な年齢の方が多く足を運ばれて楽しい時間を互いに過ごされているようです。

(MARROW)=骨髄・真髄・核心

そのものの本質や物事の根本になることを意味する。(地球に負担をかけない)「サーキュラーエコノミー」の実践をされて廃棄物や無駄、汚染を発生させないように、原料やリサイクルを想定したうえで製品デザインやサービスをプラン段階から設計の本質を考えていらっしゃるようです。

お洋服の布地も蚊帳で薄手の物から季節に応じた日本製だけどエキゾチックさを感じられるお洋服を試着できるスペースもあります。

写真家井上博道先生《美の脇役》著作大阪芸術大学写真学科に勤務されていらしたことを知り保育学科を卒業した私は、現実にはおめにかかったことはございませんが、なんだか縁を感じられて心が弾みました。

松田写真機店 プリント

2024年11月16日

卒園児”ことは”さんと見知らぬ赤ちゃんがくれた幸せ

 2018年4月20日コピー用紙がない事に気づき購入するために電車に乗ると小学生徒と教諭の一団が乗ってきた。その中の子ども一名がジーっと吉田 公恵を見つめるので、もしかしたらエンゼル保育園の子どもではと思い「エンゼル保育園の卒園児?」 と聞くと小さな声で「エンゼル保育園の園長先生」「お名前は?」「”ことは”です。三年生になりました」短い会話でも心が和んだ。

 嬉しくて小さな手を握ったが、他の子ども達はみんな体が大きく元気そうで別の保育園出身だったが、興味津々だった。エンゼル保育園のこどもとはあやめ保育園園長に代わってから関りが少ないはずなのに覚えていたのはどこか寂し気な面影が私にも記憶の遠いところに残っていた子どもだからだろうか。
私が、降りる時に皆さんにお礼を言ったのだが、一人の母親が立ち上がって「私の方がお礼を言わないと、まだこれからおせわになりますのに」と言ってくれた。先に降りてから頭を下げると「ことはさん」が立ち上がって手を振ってくれた。

 コピー用紙を、売っている商店が閉まっていたので上本町の近鉄百貨屈に行くことにした。5階に上がりコピー用紙売り場に行くと子どもの視線を感じて小柄な母親に抱かれた乳児10か月くらいだろうか私を見ていることに気づいた母親が、子どもを私に向けてくれた。
すると赤ちゃんは、ニコニコ笑いながら手を振ってくれるではないか。
父親も周りの店員さんも不思議なことに出会ったように笑顔になった。
私が、行こうとするとまたニコニコと手を振ってくれるので、立ち去るのが、惜しかったが「私に幸せをくれた赤ちゃんにお礼を言いますjと言った時みんなも幸福そうな笑顔になった。ひとりの見知らぬ赤ちゃんが私を選んでくれた笑顔が周りを温かい空気に包まれて不思議な、不思議な喜びを見知らぬひとにも幸せをくれたのである。

※エンゼル保育園出身「ことはさん」と見知らぬ赤ちゃんとの出会いを平成18年度の出来事を書き込んでいたノートを読み返したのだが、ことはさんと赤ちゃんの持つ力が私を幸せな職業に65年という歳月を、勤めさせてくれたのだと改めて考えさせられた幸せな時間であった。

瓢箪山のリーシャン中華店は私の大のお気に入り

初夏だった。近鉄瓢箪山駅からエスカレーターを降りて道路に出ると珍しく人影がなく青空の明るさに眼がくらむようなスポットが出来た空間に一人の背の高い男性が私を見つけてくださったのでしょうか。

にっこり微笑み「こんにちは」と声をかけてくれました。

とっても素敵な男性なので、どなただろうかと思案しましたが、わからなくて失礼になってはいけないし、でも言葉が出てこない。

初夏の光は、青年の表情はいたずらっぽい陰影を照らしている。
「私はリーシャンのマスターです」私は、思わず、吹き出してしまった。
私の大好きな中華料理店リーシャンのマスターになんと失礼なことを( ^ω^ )・・・リーシャンの素敵なお料理を作ってくださるマスターをわからないなんて。

謎は解けました。お店では大きなマスクを必ずつけて真っ白な上着に長めのエプロンの紐をきりっとしめた姿、それは厨房に立つ彼の真剣勝負のお衣装です。お店のカウンター内で幾度も鍋をのぞき込み味見をくりかえしながらお客様に満足していただく姿勢を貫いているのです。
味は濃くなくそれぞれの持ち味の違いを崩さない。

昼のランチの最初に出てくる大きめの皿の上には多種類の味付けの違う楽しいオードブルが、出てくるのも楽しみのひとつであり、他店には見受けられないリーシャンの特性です。
とても素敵で暖かな雰囲気を持つマスターの人柄とお料理の美味しさの人気でお客様のファンが多くお昼のランチは売り切れちゃいます。
マスターの奥様も背が高く素敵な方ですお子様はお二人だったかな?
お客様の注文をうけて細やかな気配りをされるウエイトレースさんも背が高いですね。きっとマスターの栄養素の詰まったお食事をされているのでしょう。

時々、ランチの数が売り切れてしまい、食べ損ねる私です。リーシャンのマスターに膨れっ面をして職場に戻る時がありますのでご注意くださいね。(笑)

2Fは団体客18名様まで余裕の畳部屋に黒のテープルと椅子のあるシックで落ち着いた雰囲気のお部屋です。様々な集いにお使いくださいませ。

ランチタイム11:30-14:00まで、
ナイトタイム17:00-22:30まで
<お休みは毎週月曜日>

マツダ写真機店にてプリント

フォトアルバム

 東大阪市、寝屋川市においてエンゼル保育園-40年間、あやめ保育園-10年間。勤務した保育園生活はアルバムを通して振り返ったが、私には、なんと幸せな素晴らしい日々であったかと深い思いを噛み締めた。

 多くの人々と出逢い、幸せな気づきを頂いたこと。多くの若者の生き方は私に多くの学びと幸せを与えてくれた。

 それらの一つ一つが、今、私は喜びと生きる希望に満ちて幼い子どもたちと共に前進する勇気を与えられた。

 すべての人々と共に人間の幸せのために濁りのない毎日のために私は進みたい。

2024年9月24日吉田公恵

若い母親に手のひらのあたたかさを

 私の勤務する地域貢献事業室の扉を押して外に出るとエンゼル保育園、5PM前後には、勤務を終えた保護者方が、子どもたちのお迎え時間の始まりです。
保育園前に、何台かのお迎えの自転車が並び、保護者たちの後ろ姿も見える。

 エンゼル保育園の小さな園庭には子どもたちが大好きな2台のブランコがあり、乗れた子どもが漕いでいる。二人の姿を見ているともう少し広い園庭があれば、プランコに乗れる子どもたちの数が増えるのになあって、チクリと胸が痛みます。

 お迎えのママの姿を見つけた女児が、保育園の扉の方へ走る姿が見えたので私も追いました。ママも自転車を置いて子どもを見つけて自転車に乗せたので安心した私は、若い母親の頭に何故だろう、自分の手のひらを軽く乗せていました。

 子どもを自転車に乗せる彼女の仕草が、愛おしくて、その時、互いの交感した心の感触は彼女の微笑とともに温かく私の思いを受け止めて柔らかな後ろ姿を残し、家路に向かいました。
後ろ姿を見送る私にStejepan Hauser Cello Waitz 2番(Shostakovich)が脳裏こ浮かび、不思議な柔らかな感覚にとらわれたのは、若い母親がくれたプレゼントだったのでしょうか。

Stejepan Hauser
マツダ写真機店にてプリント

貴女が来てくれた最後の日

 あやめ保育園園長室の電話のベルが鳴った。
「園長先生! 私、明日退院できるのよ」
「うわぁーよかったね!じゃ、明日お昼ご飯を私の部屋で食べよう」
「給食室に頼んでおくからね。きっとよ、約束だよ」
私は、しつこいくらい念を押すと彼女は来ると約束をしてくれた。体調を崩していた彼女は、入院していたが、一カ月で退院できるようである。

 彼女は、青白い肌の色が透き通るように綺麗で黒い瞳が大きく、男児と女児二つ違いの子どもたちは、母親に似て色白の目鼻立ちの整ったしっかりした子どもを授かり、義父と共に5人家族で暮らしているが口数の少ない女性であった。
夫の義父の娘は近くに家庭を持ち、義妹は気立ての良い優しい人で、子どもたちを大切に可愛がってくれている。

 義父は私の園長室を毎日のようにノックして、おしゃべりをして行くのだが、核心の問題に触れず取り留めのない話をするだけであった。
私が核心に触れないのは、辛抱強く待つという姿勢を崩さないからだろう。
家族の内情に義父も一歩、踏み出せなかったのは、遠慮があったのかもしれない。
しかし、それが、私を二日も待たずどん底に突き落とされる結果を招いた。

 次の日、彼女は園長室の扉を静かにノックし、柔らかな笑みを浮かべて入ってきた。給食室に電話を入れて彼女が来られたので給食をお願いした。
給食を頂きながらとりとめのない言葉を交わし、一時間半ほどいただろうか。彼女は、食事の終わった私の給食盆と自分のお盆を重ねて丁寧な挨拶をして園長室から帰っていった。それが彼女と最後の晩餐になるとは想像もできなかった。

 二日を置いただろうか。担任保育士から彼女が、亡くなり明日が葬式だと聞き、私はあああーと声もなくへたりこんでしまったのは、とても葬式に行く気力のない自分の心の不甲斐なさ、葬式への出席を担任保育士にお願いしたが、涙も流れず虚脱感だけが私を襲ったのである。

 25年も前に起こった彼女の死は、私に言えない苦しみを背負い自分の安息な場所に逃避したのだろうか。私は現実社会が嫌になってしまったのは誹謗中傷という恐ろしい世界を、私を苛む事態を想像できなかった。私の考える世界は、いつもメルヘンの世界だったのだろうか。
違う!? 苦しい事もあった。嫌な事もあった。其れ以上に保育園の子どもたちとの生活の喜びは深く楽しく私は、福祉事業を放棄する考えは一度もなかった筈だ。人間が誠実に生きるために私は、夢を追っていただけなのか?

 神戸の武田設計事務所の大学教授にお願いしたあやめ保育園施設は子ども遠の将来にわたる夢と希望、志を人間性の礎を託す最大の贈り物として創り上げたものであると私は自負していた。
それを周りの人間の欲望が捻じ曲げられ自分の物にしたがる人間の醜さを露呈し、薄汚れた汚物のように私は醜いアヒルを寝屋川市に残してしまった。
どこにも薄汚れたものは、無かったはずなのに人間の俗悪さが、私をここ迄、追い込まれてしまったのだ。

 誹謗中傷を受けることが、私をこれほどに苦しいとは…現代社会の子ども達に起きているいじめの問題、親の虐待問題。最近の旭川2件の事件。教師のわいせつ事件等後を絶たない。結愛ちゃん事件の追悼もありました。スーツケースに詰め込まれた子どもの死体を草むらに捨てた非道なケース。それにもっと脅しいニュースは、ゴザで行われた900人の子どもたちの四肢を切り落とした残虐な行為。戦争、紛争はどこまで止むことのない現代社会を破壊するのか。父親殺し、母親殺し、私には、もう居場所がない。

 私の居住するマンションには、私への誹謗中傷、管理人のセクハラ問題等で私を、毎日のように不審者のような目で見る人、子どもを近づかせないようにする人、挨拶も交わせないのは私と接触したら何を書かれるかわからないと用心する人達。私は叫びました「私を殺しなさい」知らないうちに噂は静かに消えるでしょう。黙っていれば、社会も時が忘れてくれる。
地方に住みなれない私の下手さが、露呈したのか。生活に行き詰まり戻ってきた私を温かく迎えてくれた住民のかたもいる。私を徹底的に憎み、出勤を停止させるまでカを発揮した首謀者A、B、C(マンション中に大声で誹謗中傷をばらまいた)私といかにも信頼関係があるがごとく吹聴して自分の手元に収めた女性掃除管理人D。マンション男性管理人Nは私の帰宅時、いそいそと後ろからついてきたうす気味の悪さは、私の小さな叫びを聞き遠のいた。それからは管理人Nがいる時間には一歩も外に出られなくなった。
※マンション玄関に設置されている吉田の室内呼び出し部分に外国人が来た場合、管理人にお知らせくださいとペンキで書かれて消せないようにしている。

 今は、会えなくなったあなたにもう一度、会いたい。あなたの苦しみ。悲しみを今だったら少しは貴女を癒せる言葉とメロデイーを共有できるだろうか。
あやめ保育園の卒園式だったと思う、あなたの義妹が、式の途中でハンカチを口元に抑えて会場を出て廊下から、堰を切ったように激しく泣く声が聞こえました。この場所に長男の卒園式に参加できなかった義姉の存在を思うと鳴咽を抑えられ、なかったのでしょうか。
義妹さんに会って二人であなたを心から偲びたい。あなたを忘れない二人がいます。

 私は、地域貢献事業室として個人財産のローンが終わったので寄付して法人施設課の了解を得てエンゼル保育園の預金から、3階倉庫、2階男女別の休憩室、シャワ一室、一階を地域貢献事業室として活動を始めたのは、あやめ保育園を退職して地域貢献事業室に席を置いたわたしを、住民の方から現代社会の老人世帯が、様々な問題を抱えているから、力になれないだろうかとお話を頂いたからです。
しかし、それまで別の案件があり、携わっているうちに好転してきたので住民の方のご要望に取りかかるべく思案していたのだが、私のマンション内で誹謗中傷事件が起こった。

 25年前に起こった彼女の死をいま私は、彼女の苦しみを理解する力のなかった貴女の側で見守り、私は弱いのか強い人間なのかわからなくなりました。
至るところで、誹謗中傷は、人々を苦しめ自死を選択する内容も多岐にわたり小さな子どもから小学生、中学生高校生に、至っています。

 ジャーナリスト伊藤詩織さん事件は日本を捨てて他国で生きる道を選ばずにいられない境遇になりました。逆提訴を受けて莫大なお金を支払うことになるのでしょうか?リュウチエルさんの事も私には、忘れられないのです。

 父親殺し、母親殺し、高齢者の放置事件、結愛ちゃん虐待問題の追悼も報道され大人の不甲斐なさをお詫びした言葉もあります。

 私は、長年、仕事をしてきましたが、幻想の中でもがき理想像を人間に求めていただけなのでしょうか。
「保育園を自分だけのものにして兄弟に分けなったからひどい目にあったのよ」
骨の砕ける音。肉の剥がれる落ちる声が聞こえたように思った。
そうだ・子ども時代から、ことあるごとに投げられてきた数々の言葉を蘇る。
そして、同窓会に参加するか否かで神経を使わせていた同窓生の男性に対する言葉を如何にもなにかありそうに平気な言葉を出す女性、もううんざりだ。

 皆さんもうやめませんか、優しい心を取り戻しませんか?
これからの日本を新しい気持ちで頑張りませんか? 心よりお願いいたします。

2024年7月22日吉田公恵

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