大阪保育部会の海外研修に参加したのは、何時の頃だろう。
40代だったと思う、総勢何名だったかも記憶にないが、男女取り交ぜて20名かな?
Memberの中に80代の女性理事長先生がいらした。
スケジュールは粛々とすすみイタリアに向かう前日の予定は、アウシュビッツ収容所。第二次世界大戦中、ユダヤ民族の虐殺。600万人がアウシュビッツ収容所へ貨車に詰め込まれ送られるという過去の悲惨な現実を私も折に触れて思い出すことがある。
「アンネの日記」を教えてくれたのは誰なのか覚えていないが、夢中になって繰り返し読んだ手記である。
ニュースの映像で幾度か見たことのある背の高い黒く煤けた門を潜り抜けると祈りへの燭台がある。高齢の理事長先生は、誰よりも早く燭台の前に立ち目を閉じて両手を合わせて静かに合掌された。私は、その姿に深い感動を覚えた。
硬い石の壁に刻まれた文章は、虐殺されたユダヤ民族への贖罪だろうか。白の大きな花束も飾られてある。
高校生の頃、「アンネの日記」を読みアメリカ映画も見た。隠れ家の天井裏のガラス窓から外を眺めると鳥たちの群れは自由に飛んでいく姿に呟いた言葉を鮮明に浮かぶ。
「鳥さえ自由にどこへでも飛んでいくのに人間である私たちはとじこめられたまま」
アンネ・フランクは天井裏の狭い場所に膝を抱えて座り、ガラス窓に向かい呟いた言葉を忘れることはない。(台詞通りかどうか記憶に乏しいが)
しかし、私は理事長先生のように燭台に向かいすぐさま手をあわせる所作など思いつかなかった。
ユダヤ民族について、忘れることのできない歴史が、そのまま生きていることだったのだと。長い間児童福祉事業をされてこられた理事長先生の思いの深さに改めて気づかされたのである。
夜の食事会に理事長先生は、ロングドレスをお召しになってイヤリングを付けて来られた。「私はね、60歳になったら耳に穴を開けてイヤリングを付けることに決めたのよ。最後まで児童福祉事業をすると決心の誓いを忘れないためにイヤリングを60歳からつけるようになったの」と言われた言葉を私は心深く刻んだ。
60歳になると心身ともに年寄りだから仕事をできるか、不安だった時代である。
「人生100年時代」と言われる現代は、理事長先生は先を見越して愛らしく知的に成長された後継者に託す準備を出来上がった安堵感からお孫さんとともに研修旅行をされたのだろう。現代の働く女性の問題を示唆される内容は2023年の現代の課題に繋がる問題の視点であったことを今にして思う。