二枚の卒園写真 子どもたちと共に

 寝屋川市あやめ保育園にて10年間保育園生活を送った私は子どもたちと、撮った二枚の卒園記念写真がある。

 1990年9月江東会理事長、エンゼル保育園園長就任。
寝屋川市の保育園生活の始まりは、寝屋川市公立保育園民営化計画を、地元の信頼の厚い民間法人が、受諾したが、残念ながら法人の描く施設建築を諦め、再度、振り出しに戻った募集に対して、私に、受けてみてはどうかと声をかけてくれた知人がいた。当時、募集人員に対し、18件応募し、寝屋川市の主査、園長先生を中心に各保育園に見学に来られた。

 その中で社会福祉法人江東会が、選出されたのである。私は、主査M氏に伺った言葉は、見学した中で「保育園は小さいけれど、温かさを感じられた」という言葉であった。その言葉は、自信と励みになった。

 私が、馴染みのない寝屋川市の民営化保育園を引き受けようと決心したのは、東大阪市エンゼル保育園は三階建てで敷地も狭く園庭のない条件下で、私を始め保育士たちは毎日のように子どもたちと《公園ジプシー》をしてきたので子どもたちに広いところで思いっきり遊ばせてあげたいという思いが強かったのである。

 700坪の土地を寝屋川市は無償で、あやめ保育園の園庭として借用できる約束である。私は、この広い土地にどのような園舎を建て、遊具を購入すべきかと胸を弾ませた。
まず園舎の設計をどこに頼むべきか。当時、エンゼル保育園少子化対策補助金により子どもの急激な増加により定員数120名に変更。隣地が空いたので新たに土地購入計画を立てて園舎も建て替え時期と重なり、私は、大忙しであった。

 大阪国際大学短期学部の非常勤講師(乳児保育)を後期だけで終わることになったのは、残念であったが、仕方のない状況であった。しかし、後期だけでも学生たちに好評で終われたのは、現役の幼稚園教師の保護者を学生たちに経験談を、紹介したことである。

 私には、その後の職員確保にメリットがあったことを実感する結果を得た。私を大阪国際大学非常勤講師に推薦してくださったのは、東大阪市前白鳩保育園理事長・園長の栗本広美先生である。

 今も私は、栗本広美先生への感謝の念を忘れたことはない。
私が、デザインを勉強してきた道のりで出会った先輩の話の中で、神戸に武田設計事務所の先生は大学の教授でもあるが、非常にユニークなデザインをされる方だと聞いたことを思い出し、武田設計事務所に設計、建築は多田建設にお願いすることになった。
エンゼル保育園は、東大阪市白鳩保育園の建て替え時、デザインされたベース新川、昇設計事務所を栗本広美先生に紹介された。

 小柄だけどスポーティなヒロミ先生は、お顔の愛らしさは子どものように素敵な方です。
ご自身の保育園への取り組みはそのスピードたるや並はずれていた。ご自身の園舎の建て替えは当時、現代的でお酒落な新しい取り組みと保育と高齢者とのコラボを先駆けた内容でお手本になりました。東大阪市民間保育協議会では女性では初めて会長に抜擢された方です。

 建築は2か所、同時に始まり、あやめ保育園は私の提案した屋根を赤色材質のものを見つけるには、多田建設の建築責任者は大変御苦労されました。赤色の屋根色を地域の住民の方から「朝から赤色の派手な色を見せられたら疲れる」苦情も聞きました。でも市役所の方のご尽力で我慢していただくことができました。この時の設計、建築は私の人生の中で最も忙しくもあり、充実した日々でもあった。

 二か所の建築を終え、落成した時の喜びは、子どもたち、保護者への贈り物として私は、幸せであった。あやめ保育園で、落成後、エンゼル保育園の子どもたちを広いあやめ保育園に招待した時、一人の男児は、園庭に立ち大人っぽい表情で「ここは公園です」と大興奮の声で叫んだ言葉が今も耳に残っている。エンゼル保育園の保護者は、エンゼル保育園の園庭に対して誰も不満を言う方は、いなかった。むしろ、(子どもたちを色々な公園に連れて行ってくれるからありがたいわ)と好意的であったことを今も忘れられない。

 あやめ保育園の子どもたちの卒園式は、何回目だろう。私は、卒園式の写真を二枚撮るように考えたのは、一枚目はお行儀よく撮る。もう一枚は、子どもたちも保育士も思いっきり楽しいポーズをしてくださいとお願いすると面白がってくれた。
この二枚を裏表に挟んだ写真を卒園記念写真とした。

 私の願いは、子どもたちの裏の写真を成長した時、保護者に見つけてほしいなと願うのは子どもたちの保育園時代、こんなに元気に自分を思いっきり出していた子どもの姿を知ってほしいと願うからです。

2023年6月8日 吉田公恵

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