帰ってきた絵 no-name

私の絵をたいそう気に入り、友人の家の壁に掛けられて10年?20年?かな?経て私の手元に戻してくれた。

長い間、彼女の家の壁の花として飾られていた絵(スケッチ)デザイナー学院時代、18歳の私は水彩で若い女性の顔から首筋をさらりと描いただけだが、色褪せることなくみずみずしさを保ち、ターナー水彩絵の具の偉大さ?を再発見した気分に高揚した。

帰ってきた絵(スケッチ)との再会が嬉しくて夢の祭り社のGalleryを管理していただいているナセバーナル社IT職人林様に連絡を取り新たに入稿する旨を伝え作品を送付した。ところが折り返し頂いた作品名はno-nameと付けられ名前をどうされますかと問われたが、それを訂正する気持ちになれなかったのはむしろ新鮮でお洒落な印象を持ったからである。

no-name名無しの絵は凛として長く友人の家の壁の花のように存在してきたことに私は、肩書などなくとも一人の人間として存在する多くの人々と出会ってきたことを改めて思い出したのである。

それは新鮮な発見であり、謙虚に生きる姿勢で人生を乗り越えてきた人々に影響を受けた自分自身の考えのありようを思い起こすきっかけになった。

#NO HAEART NOSNS(心無い誹謗中傷を広まらない行動をしよう)総務省が出している行動指針を思い起こされたのは、政務官杉田水脈議員の侮辱行為は性暴力被害者ジャーナリスト伊藤詩織氏に対して“枕営業の失敗ですね” “見苦しい”品性のない“ ”情けない“ に対し20回以上の”いいね“を押して最高裁の「限度を超える侮辱行為」であると判決が下りた。

杉田水脈議員は国会で末だ追及されても謝罪も辞職もせず最高裁の判決を検討中であると繰り返している。塩村議員、源田議員の追及に対しどのような憲法違反として反論できる材料があるのだろうか。

マンションの小さなcommunityに住む私は現在「精神的に限度を超える侮辱行為」受けている。

裁判に持ち込むには精神的、肉体的、年齢的に限度を超える行動を起こすには年を取りすぎた。

スマホに優秀な中学生がクラスの中で長い間いじめにあい「胸が苦しくて息ができない」状況を親に残した遺書にあったという。それは私自身にも中学生の彼と同じ症状が出ていることに気づかされた。

大人の私でさえこんなに苦しいのに少年の胸にどれ程の痛みと息を吐くのも不安と恐怖感に苦しかっただろう。思うといたたまれない。

私は戦わずして泣き寝入りし鎮静化する間に住民の皆さんへ刷り込みを徹底されるのではと恐怖感を覚える。

「根拠のない話をまき散らす悪質な行為に腹が立ち、時々、どこかに思いきってぶつけたい思いが湧」夜半に目が覚めてふと消えてしまったら楽になるのかなと思うことがある。 CORONA禍のなか、心を病む人々。根拠のない行き過ぎた行為への思いは目が覚めるには時間がかかるのか。いや時間の中で変わらない思いを持つほうが人生が楽しいのか。

戻ってきた絵(スケッチ)と共に思い出すのはデザイナー学院を卒業した19歳。

大阪市天王寺区にある美術館近辺にあった画廊喫茶。名前は忘れたが、無料で壁に掛けられる貸し画廊で個展を開いた私は大胆ですね。

帰宅すると私の絵を一点購入したいと画廊から連絡があった。

その作品は若い女性が、髪を左側に流し、グリーンのワンピースの腰から襞のあるスタイルで体が流れるように傾く姿が男性には魅力的だったのかもしれない。

若い私には女性の体の線を考えることまで及ばなかった筈だが、桃山学院大学の英語講師をされている方で早速、訪ねて来られた。作品を包む体裁を整える間もなく「僕が家に帰ってやります」と言って代金を置いて作品を胸に抱きそそくさと帰られた。

「作家があまりに若いから驚かれて帰ったのね」弾む高い声と明るい笑顔は亡き母の姿を私の玉手箱から時々、取り出して思い出に浸る幸せな瞬間である。

私の描いた絵は今も健在だろうか。

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