生駒駅近鉄百貨店1階 “幡”

 今日も生駒百貨店一階レストラン併用の雑貨店 “幡” 。白色の柔らかさを感じる落ち着いた佇まいに惹かれてやってきたのは、もう数えきれないほどである。

 日本情緒漂う静かな異空間の雰囲気を私は、なぜだろう、心がささくれている時ほど、来ると心が癒され落ち着くのは・・・

 壁際に井上博道氏の白黒の写真が白い壁際に何枚か貼られてあるが、画廊の趣にも感じられて私は異邦人のように包まれるのだ。

 ランチは、和食2種類を魚と肉をメーンにする献立が用意されて、色合いが水彩画のような淡く優しげな味付けは胃に無理がない。

 ランチの時聞が終わるとカレーライスとハヤシライスを用意されているが、他店には見られない独創性のあるカレーライスとハヤシライスのデザイン? が、私には、なかなかユニークで美味しく楽しいのだ。

 ウエイトレスさんたちは、奈良に伝わる地場産業である江戸時代よりさかんに織られている蚊帳(風は通すが蚊は通さないと言う布地)黄色の布をターバン風に包みお給仕される姿の横顔、後ろ姿がとても素敵です。仕事をされている様子はいつも穏やかなそれでいてきりっとした専門的な仕事をしているという甘えのない人たちのように映る。

引用:BAN INOUE SHOP

 お食事を用意される仕事ですから髪の毛が落ちないように配慮、されているのは清潔感があっていいですね。

 夏の蚊帳の布は、蒸し暑い日本の夏にはとても快適に過ごせます。

蚊帳で作られている生活雑貨、布製の軽いパック等、お帽子、ショール等それにお菓子類、お茶その他の多種多様に広がり、土日は老若男女様々な年齢の方が多く足を運ばれて楽しい時間を互いに過ごされているようです。

(MARROW)=骨髄・真髄・核心

そのものの本質や物事の根本になることを意味する。(地球に負担をかけない)「サーキュラーエコノミー」の実践をされて廃棄物や無駄、汚染を発生させないように、原料やリサイクルを想定したうえで製品デザインやサービスをプラン段階から設計の本質を考えていらっしゃるようです。

お洋服の布地も蚊帳で薄手の物から季節に応じた日本製だけどエキゾチックさを感じられるお洋服を試着できるスペースもあります。

写真家井上博道先生《美の脇役》著作大阪芸術大学写真学科に勤務されていらしたことを知り保育学科を卒業した私は、現実にはおめにかかったことはございませんが、なんだか縁を感じられて心が弾みました。

松田写真機店 プリント

2024年11月16日

卒園児”ことは”さんと見知らぬ赤ちゃんがくれた幸せ

 2018年4月20日コピー用紙がない事に気づき購入するために電車に乗ると小学生徒と教諭の一団が乗ってきた。その中の子ども一名がジーっと吉田 公恵を見つめるので、もしかしたらエンゼル保育園の子どもではと思い「エンゼル保育園の卒園児?」 と聞くと小さな声で「エンゼル保育園の園長先生」「お名前は?」「”ことは”です。三年生になりました」短い会話でも心が和んだ。

 嬉しくて小さな手を握ったが、他の子ども達はみんな体が大きく元気そうで別の保育園出身だったが、興味津々だった。エンゼル保育園のこどもとはあやめ保育園園長に代わってから関りが少ないはずなのに覚えていたのはどこか寂し気な面影が私にも記憶の遠いところに残っていた子どもだからだろうか。
私が、降りる時に皆さんにお礼を言ったのだが、一人の母親が立ち上がって「私の方がお礼を言わないと、まだこれからおせわになりますのに」と言ってくれた。先に降りてから頭を下げると「ことはさん」が立ち上がって手を振ってくれた。

 コピー用紙を、売っている商店が閉まっていたので上本町の近鉄百貨屈に行くことにした。5階に上がりコピー用紙売り場に行くと子どもの視線を感じて小柄な母親に抱かれた乳児10か月くらいだろうか私を見ていることに気づいた母親が、子どもを私に向けてくれた。
すると赤ちゃんは、ニコニコ笑いながら手を振ってくれるではないか。
父親も周りの店員さんも不思議なことに出会ったように笑顔になった。
私が、行こうとするとまたニコニコと手を振ってくれるので、立ち去るのが、惜しかったが「私に幸せをくれた赤ちゃんにお礼を言いますjと言った時みんなも幸福そうな笑顔になった。ひとりの見知らぬ赤ちゃんが私を選んでくれた笑顔が周りを温かい空気に包まれて不思議な、不思議な喜びを見知らぬひとにも幸せをくれたのである。

※エンゼル保育園出身「ことはさん」と見知らぬ赤ちゃんとの出会いを平成18年度の出来事を書き込んでいたノートを読み返したのだが、ことはさんと赤ちゃんの持つ力が私を幸せな職業に65年という歳月を、勤めさせてくれたのだと改めて考えさせられた幸せな時間であった。

瓢箪山のリーシャン中華店は私の大のお気に入り

初夏だった。近鉄瓢箪山駅からエスカレーターを降りて道路に出ると珍しく人影がなく青空の明るさに眼がくらむようなスポットが出来た空間に一人の背の高い男性が私を見つけてくださったのでしょうか。

にっこり微笑み「こんにちは」と声をかけてくれました。

とっても素敵な男性なので、どなただろうかと思案しましたが、わからなくて失礼になってはいけないし、でも言葉が出てこない。

初夏の光は、青年の表情はいたずらっぽい陰影を照らしている。
「私はリーシャンのマスターです」私は、思わず、吹き出してしまった。
私の大好きな中華料理店リーシャンのマスターになんと失礼なことを( ^ω^ )・・・リーシャンの素敵なお料理を作ってくださるマスターをわからないなんて。

謎は解けました。お店では大きなマスクを必ずつけて真っ白な上着に長めのエプロンの紐をきりっとしめた姿、それは厨房に立つ彼の真剣勝負のお衣装です。お店のカウンター内で幾度も鍋をのぞき込み味見をくりかえしながらお客様に満足していただく姿勢を貫いているのです。
味は濃くなくそれぞれの持ち味の違いを崩さない。

昼のランチの最初に出てくる大きめの皿の上には多種類の味付けの違う楽しいオードブルが、出てくるのも楽しみのひとつであり、他店には見受けられないリーシャンの特性です。
とても素敵で暖かな雰囲気を持つマスターの人柄とお料理の美味しさの人気でお客様のファンが多くお昼のランチは売り切れちゃいます。
マスターの奥様も背が高く素敵な方ですお子様はお二人だったかな?
お客様の注文をうけて細やかな気配りをされるウエイトレースさんも背が高いですね。きっとマスターの栄養素の詰まったお食事をされているのでしょう。

時々、ランチの数が売り切れてしまい、食べ損ねる私です。リーシャンのマスターに膨れっ面をして職場に戻る時がありますのでご注意くださいね。(笑)

2Fは団体客18名様まで余裕の畳部屋に黒のテープルと椅子のあるシックで落ち着いた雰囲気のお部屋です。様々な集いにお使いくださいませ。

ランチタイム11:30-14:00まで、
ナイトタイム17:00-22:30まで
<お休みは毎週月曜日>

マツダ写真機店にてプリント

フォトアルバム

 東大阪市、寝屋川市においてエンゼル保育園-40年間、あやめ保育園-10年間。勤務した保育園生活はアルバムを通して振り返ったが、私には、なんと幸せな素晴らしい日々であったかと深い思いを噛み締めた。

 多くの人々と出逢い、幸せな気づきを頂いたこと。多くの若者の生き方は私に多くの学びと幸せを与えてくれた。

 それらの一つ一つが、今、私は喜びと生きる希望に満ちて幼い子どもたちと共に前進する勇気を与えられた。

 すべての人々と共に人間の幸せのために濁りのない毎日のために私は進みたい。

2024年9月24日吉田公恵

若い母親に手のひらのあたたかさを

 私の勤務する地域貢献事業室の扉を押して外に出るとエンゼル保育園、5PM前後には、勤務を終えた保護者方が、子どもたちのお迎え時間の始まりです。
保育園前に、何台かのお迎えの自転車が並び、保護者たちの後ろ姿も見える。

 エンゼル保育園の小さな園庭には子どもたちが大好きな2台のブランコがあり、乗れた子どもが漕いでいる。二人の姿を見ているともう少し広い園庭があれば、プランコに乗れる子どもたちの数が増えるのになあって、チクリと胸が痛みます。

 お迎えのママの姿を見つけた女児が、保育園の扉の方へ走る姿が見えたので私も追いました。ママも自転車を置いて子どもを見つけて自転車に乗せたので安心した私は、若い母親の頭に何故だろう、自分の手のひらを軽く乗せていました。

 子どもを自転車に乗せる彼女の仕草が、愛おしくて、その時、互いの交感した心の感触は彼女の微笑とともに温かく私の思いを受け止めて柔らかな後ろ姿を残し、家路に向かいました。
後ろ姿を見送る私にStejepan Hauser Cello Waitz 2番(Shostakovich)が脳裏こ浮かび、不思議な柔らかな感覚にとらわれたのは、若い母親がくれたプレゼントだったのでしょうか。

Stejepan Hauser
マツダ写真機店にてプリント

貴女が来てくれた最後の日

 あやめ保育園園長室の電話のベルが鳴った。
「園長先生! 私、明日退院できるのよ」
「うわぁーよかったね!じゃ、明日お昼ご飯を私の部屋で食べよう」
「給食室に頼んでおくからね。きっとよ、約束だよ」
私は、しつこいくらい念を押すと彼女は来ると約束をしてくれた。体調を崩していた彼女は、入院していたが、一カ月で退院できるようである。

 彼女は、青白い肌の色が透き通るように綺麗で黒い瞳が大きく、男児と女児二つ違いの子どもたちは、母親に似て色白の目鼻立ちの整ったしっかりした子どもを授かり、義父と共に5人家族で暮らしているが口数の少ない女性であった。
夫の義父の娘は近くに家庭を持ち、義妹は気立ての良い優しい人で、子どもたちを大切に可愛がってくれている。

 義父は私の園長室を毎日のようにノックして、おしゃべりをして行くのだが、核心の問題に触れず取り留めのない話をするだけであった。
私が核心に触れないのは、辛抱強く待つという姿勢を崩さないからだろう。
家族の内情に義父も一歩、踏み出せなかったのは、遠慮があったのかもしれない。
しかし、それが、私を二日も待たずどん底に突き落とされる結果を招いた。

 次の日、彼女は園長室の扉を静かにノックし、柔らかな笑みを浮かべて入ってきた。給食室に電話を入れて彼女が来られたので給食をお願いした。
給食を頂きながらとりとめのない言葉を交わし、一時間半ほどいただろうか。彼女は、食事の終わった私の給食盆と自分のお盆を重ねて丁寧な挨拶をして園長室から帰っていった。それが彼女と最後の晩餐になるとは想像もできなかった。

 二日を置いただろうか。担任保育士から彼女が、亡くなり明日が葬式だと聞き、私はあああーと声もなくへたりこんでしまったのは、とても葬式に行く気力のない自分の心の不甲斐なさ、葬式への出席を担任保育士にお願いしたが、涙も流れず虚脱感だけが私を襲ったのである。

 25年も前に起こった彼女の死は、私に言えない苦しみを背負い自分の安息な場所に逃避したのだろうか。私は現実社会が嫌になってしまったのは誹謗中傷という恐ろしい世界を、私を苛む事態を想像できなかった。私の考える世界は、いつもメルヘンの世界だったのだろうか。
違う!? 苦しい事もあった。嫌な事もあった。其れ以上に保育園の子どもたちとの生活の喜びは深く楽しく私は、福祉事業を放棄する考えは一度もなかった筈だ。人間が誠実に生きるために私は、夢を追っていただけなのか?

 神戸の武田設計事務所の大学教授にお願いしたあやめ保育園施設は子ども遠の将来にわたる夢と希望、志を人間性の礎を託す最大の贈り物として創り上げたものであると私は自負していた。
それを周りの人間の欲望が捻じ曲げられ自分の物にしたがる人間の醜さを露呈し、薄汚れた汚物のように私は醜いアヒルを寝屋川市に残してしまった。
どこにも薄汚れたものは、無かったはずなのに人間の俗悪さが、私をここ迄、追い込まれてしまったのだ。

 誹謗中傷を受けることが、私をこれほどに苦しいとは…現代社会の子ども達に起きているいじめの問題、親の虐待問題。最近の旭川2件の事件。教師のわいせつ事件等後を絶たない。結愛ちゃん事件の追悼もありました。スーツケースに詰め込まれた子どもの死体を草むらに捨てた非道なケース。それにもっと脅しいニュースは、ゴザで行われた900人の子どもたちの四肢を切り落とした残虐な行為。戦争、紛争はどこまで止むことのない現代社会を破壊するのか。父親殺し、母親殺し、私には、もう居場所がない。

 私の居住するマンションには、私への誹謗中傷、管理人のセクハラ問題等で私を、毎日のように不審者のような目で見る人、子どもを近づかせないようにする人、挨拶も交わせないのは私と接触したら何を書かれるかわからないと用心する人達。私は叫びました「私を殺しなさい」知らないうちに噂は静かに消えるでしょう。黙っていれば、社会も時が忘れてくれる。
地方に住みなれない私の下手さが、露呈したのか。生活に行き詰まり戻ってきた私を温かく迎えてくれた住民のかたもいる。私を徹底的に憎み、出勤を停止させるまでカを発揮した首謀者A、B、C(マンション中に大声で誹謗中傷をばらまいた)私といかにも信頼関係があるがごとく吹聴して自分の手元に収めた女性掃除管理人D。マンション男性管理人Nは私の帰宅時、いそいそと後ろからついてきたうす気味の悪さは、私の小さな叫びを聞き遠のいた。それからは管理人Nがいる時間には一歩も外に出られなくなった。
※マンション玄関に設置されている吉田の室内呼び出し部分に外国人が来た場合、管理人にお知らせくださいとペンキで書かれて消せないようにしている。

 今は、会えなくなったあなたにもう一度、会いたい。あなたの苦しみ。悲しみを今だったら少しは貴女を癒せる言葉とメロデイーを共有できるだろうか。
あやめ保育園の卒園式だったと思う、あなたの義妹が、式の途中でハンカチを口元に抑えて会場を出て廊下から、堰を切ったように激しく泣く声が聞こえました。この場所に長男の卒園式に参加できなかった義姉の存在を思うと鳴咽を抑えられ、なかったのでしょうか。
義妹さんに会って二人であなたを心から偲びたい。あなたを忘れない二人がいます。

 私は、地域貢献事業室として個人財産のローンが終わったので寄付して法人施設課の了解を得てエンゼル保育園の預金から、3階倉庫、2階男女別の休憩室、シャワ一室、一階を地域貢献事業室として活動を始めたのは、あやめ保育園を退職して地域貢献事業室に席を置いたわたしを、住民の方から現代社会の老人世帯が、様々な問題を抱えているから、力になれないだろうかとお話を頂いたからです。
しかし、それまで別の案件があり、携わっているうちに好転してきたので住民の方のご要望に取りかかるべく思案していたのだが、私のマンション内で誹謗中傷事件が起こった。

 25年前に起こった彼女の死をいま私は、彼女の苦しみを理解する力のなかった貴女の側で見守り、私は弱いのか強い人間なのかわからなくなりました。
至るところで、誹謗中傷は、人々を苦しめ自死を選択する内容も多岐にわたり小さな子どもから小学生、中学生高校生に、至っています。

 ジャーナリスト伊藤詩織さん事件は日本を捨てて他国で生きる道を選ばずにいられない境遇になりました。逆提訴を受けて莫大なお金を支払うことになるのでしょうか?リュウチエルさんの事も私には、忘れられないのです。

 父親殺し、母親殺し、高齢者の放置事件、結愛ちゃん虐待問題の追悼も報道され大人の不甲斐なさをお詫びした言葉もあります。

 私は、長年、仕事をしてきましたが、幻想の中でもがき理想像を人間に求めていただけなのでしょうか。
「保育園を自分だけのものにして兄弟に分けなったからひどい目にあったのよ」
骨の砕ける音。肉の剥がれる落ちる声が聞こえたように思った。
そうだ・子ども時代から、ことあるごとに投げられてきた数々の言葉を蘇る。
そして、同窓会に参加するか否かで神経を使わせていた同窓生の男性に対する言葉を如何にもなにかありそうに平気な言葉を出す女性、もううんざりだ。

 皆さんもうやめませんか、優しい心を取り戻しませんか?
これからの日本を新しい気持ちで頑張りませんか? 心よりお願いいたします。

2024年7月22日吉田公恵

2024年8月11日 貴女を探しています

 8月11日(日)です。
私は昨日、近鉄布施駅に用があって行きました。改札口に出るために最後尾のエスカレーターに並ぶと私の前に女性が、立たれたのでお先へと譲りますと彼女も私にと譲りますが、私は改めて頑固に譲ると彼女はニコニコして私の洋服姿を見て

「素敵な洋服を着ていますね」
「この洋服はとても古いのですよ。もう35年はなるかな」
「とてもstyleが良くて似合っていますね」

私はこのような言葉を頂いたのは初めてなので驚き気分は最高潮?!
実は10キロもやせたのです
「このskirtは、ケンゾーさんのです」
若く見える彼女は《ケンゾーブランド》はご存じないかなと思いつつ初めて出会った私に握手を求めました何度も。そして言葉に「私のようにならないでね」と言ってエスカレーターは2階のプラットホームの区切りに留まると彼女は降りたが、なぜか私をみたまま動かない。

立ち止まったままなのである。彼女の乗る電車が到着しているのに。
 すれ違う時間差で私は、布施駅の改札口に向かいましたが、彼女は、エスカレーターの上から私を見送っていました。
 別れて数分後、なぜか私は、胸が締め付けられたのです。彼女は心に何かを抱えているのではないか。偶然出会った私の洋服に惹かれ、見ず知らぬ私の手を握り締めて私を見送った。私は、別れ際に何故、私の名刺を渡さなかったのかと侮やみました。私は、もう一度、貴女に会いたいのです。
 どうか、このブログを見ていただけるか。他の方がこのブログを見つけて貴女を見つけて欲しいのです。連絡を欲しいのです。ケンゾーブランドの大好きなSkirtをブログに載せます。
彼女は、小柄で年齢は推察できないけれど化粧つけはありませんでした。
お手数ですが、気に留めていただければ、心より感謝申し上げます。

子どもたちの世界はだいじようぶかな?

 地域貢献事業室の仕事場に向かうために、静かな住宅街を歩いていいた。
地域の中学生らしい少年が、4人、ぺたりと花園西町自治会館で座り込んでいる。
なんだか明るい空気がながれているので思わず声を掛けました。

「あれつ、もうお勉強終わったの?」

「今日はテストだけなので終わったのです」

「そう。成績はどう?自信ある?」

「駄目です」

 口々にがっくりした表情の少年の中で一人だけにっこり自信のある少年がいる。(そうなの?じゃあ私が先生にお願いして成績を上げてもらおうか?)
と冗談めかして言うとそんなことできないことをわかる中学一年生だがそれでも明るい表情が、純粋無垢な少年たちの未来を照らしてくれているようで私を明るくさせてくれる。

 その日の仕事を終わり、帰宅するために若江東町公園の出口に昨日、私が見つけた公園の入り口にビニール袋を被せた忘れ物がまだ置かれた状況にあることに気づき滑り台で遊ぶ女子二人、男子一人に声をかけた。

「ねえ、この忘れ物の持ち主わからない?」

「それは、三週間ぐらいたつよ」

 子ども達が、私の側に来てくれたので、まだ真新しく見えるしっかりしたバッグの中を男子がのぞき込み名前があることを確認してくれた、

 お稽古用のバッグにはKUMONと書かれていたことも確認できたので、さてこれをどうすべきか考え、忘れものを渡してあげたいと思い、方法を考えたのだが、このパッグのお稽古事は鏡神社の近くであることが子どもたちの話で判明した。

「鏡神社が、近かったら探せるね。」

「お母さんに、遠くへ行ったらいけないと言われている」

「場所のわからないところに行ってはだめって言われている」

「スマホで探せるね」

「スマホはお母さんの許可がないと使ってはいけないと言われている」

 くちぐちのお約束事を子どもたちが言う話を聞きながら、自分自身の子育て時代とはずいぶん変化があることを実感しながら、報道される社会問題が、鮮明に伝わり現代の子ども世界の変容を私たちはいかに受け止め教育問題に真撃に向かいあう責務があることを私は、伝えなければと焦る気持ちを抑えられなかった。

 公園の中では、低学年の少年たち12~13名だろうか、サッカボールを蹴りながら楽しそうに過ごしている姿は私をホッとさせた。

 三人の少年、少女を私の職場に案内して忘れ物を私が、預かっていることを伝えたが、三人の子どもたちの顔の暗さを私は気になるまま別れた事は心残りであった。
落し物に心当たりがある方は、エンゼル保育園地域貢献室吉田またはエンゼル保育園事務室までお問合せ下さい。

2024年6月27日(木) 吉田公恵

喫茶 麓(ふもと)

 東大阪市近鉄瓢箪山駅を降りると角に果物屋があり広場にはタイル張りの噴水用地の淵に腰かける人々を見かけることがある。

 国道方面を目指すと左手に、神田広場があり、毎年桜が大きく枝を伸ばし咲く。右手には油川動物病院があるのでとてもわかりやすく油川動物病院を目指すと喫茶麓がある。

 扉を開けると70代ぐらいの女性3人が、モーニングサービスを頂き終わったのか、何やら楽しそうにお話し中?

 決して広いとは言えない店だが、古民家と言われているらしく、風情が漂っている。天井の梁は黒色で縦横に支えられ、壁際には、スモーキーな色が何とも言えない雰囲気のあるガラス扉が三連に繋がり中身の見えない柄が施されている。年季の入った威厳のある銅板のカウンターにはママさんの丹青のこもったモーニングサービスが出番を待っています。500円

 喫茶麓の歴史は古い、60年を経て店主は二代目だと聞く。床面の赤茶色のタイル張りは、色褪せることなく深い色合いが、美しく残されている。床面を一段上がると4人掛けのテーブル二台並ぶ。
私は、その狭さは嫌いではない。人間同士の息遣いに親しみが湧く。(少しくっつき過ぎかな?) corona禍では生まれなかった人間同士の柔らかさ、親しみやすさを私は好きだ。
客層は、東花園のリージョンセンターで絵画を学び、現在は講師になられた男性の方、70代、80代三人の女性は、新舞踊を習い楽しみ、背筋がピンと伸びて張り、足元からの姿が綺麗だ。

 底の壁には風景画をかけられている。テーブルの上に置かれた上皇后様の若い頃の写真ブックに懐かしさを感じた。

 店主の作るモーニングサービスを、常連客さんが、新しいお客様ヘ運ぶサービスを手伝う姿は、なんだか温かくていい雰囲気。

 店主のママさんは、《みんな家族のような、昔ながらの人情の厚ささが残っている喫茶麓の大切なお客様です。》地域のよりどころと愛情をこめておっしゃる言葉は温かい。

 年齢層の高いお客様のためにモーニングサービスのパンの表面を細かく斜め切りにしているのは、パンの中にバターを染みこむようにとの配慮とパンの淵が固いので歯切れよく食べていただけるようにとママさんの心遣いです。

 多種多様な客層は、昭和42年に7月にオープンされた《レコード店ミヤコ瓢箪山店》の店主の方、市会議員の常連の方2,3人来られることがあるらしく、要望等に耳を傾けてくださるそうです。

 最近では地域の交通手段についてお話をしたと聞く。
若い学生さん、介護士をされている方も最近では増えているそうです。店を出て瓢箪山駅に戻る道、右側沿いに多種多様な花木は、住民の方が持ち寄り景観を保っていたが、最近では放置されているのは住民世帯の若い層が減少しているために、行き届かなくなっているためだと聞いたのだが、現代の日本国の衰退を象徴されているようで寂しく感じるのは私だけでないだろうと思い胸が痛む。

2024年5月23日吉田公恵

村川こずえ先生

 お変わりなくお過ごしでしょうか。

 引っ越しのため整理していましたところ、先生がエンゼル保育園より退職されるとき、残してくださったお別れのメッセージノートが、出てきました。

 エンゼル保育園主任保育士として、共にお仕事をしてきた戦友だった。
こずえ先生は、私が、出会って来た人々の中でも、とりわけ印象深い方です。イラストを描くのが、とてもお上手で保育園の様々な用紙の作製について多くの楽しいイラストが今も残っています。

 こずえ先生のお話の中でも印象に残っているのは、ロシアのソ連時代にシベリヤ鉄道を3週間にわたり旅行をされて列車の中で、ロシヤ女性のスケッチを多く残せたというお話を、当時、園長だった私が、どんなに羨ましかったか、覚えていますか?

 こずえ先生が、エンゼル保育園を退職される記念に、ほんの小さなダイヤのネックレスを用意したのですが、福祉事業に携わる私たちにはそぐわないとおもいつつ私はこずえ先生に用意したかったのです。

 色白でお綺麗なこずえ先生の私に残してくれた思い、協力は深く大きなものがあります。貴女の胸に、ダイヤネックレスは、小さな光を今でも投げかけてくれているでしょうか。

 その後、こずえ先生は、地元の保育園で園長先生に就任されたこと聞きましたね。才能と人間性で、地元の保育園で皆さんの為に頑張っていらっしゃると思います。お元気で楽しい保育園生活をお過ごしくださいませ。ごきげんよう。

2024年3月14日

吉田公恵

error: Content is protected !!