2018年4月20日コピー用紙がない事に気づき購入するために電車に乗ると小学生徒と教諭の一団が乗ってきた。その中の子ども一名がジーっと吉田 公恵を見つめるので、もしかしたらエンゼル保育園の子どもではと思い「エンゼル保育園の卒園児?」 と聞くと小さな声で「エンゼル保育園の園長先生」「お名前は?」「”ことは”です。三年生になりました」短い会話でも心が和んだ。
嬉しくて小さな手を握ったが、他の子ども達はみんな体が大きく元気そうで別の保育園出身だったが、興味津々だった。エンゼル保育園のこどもとはあやめ保育園園長に代わってから関りが少ないはずなのに覚えていたのはどこか寂し気な面影が私にも記憶の遠いところに残っていた子どもだからだろうか。
私が、降りる時に皆さんにお礼を言ったのだが、一人の母親が立ち上がって「私の方がお礼を言わないと、まだこれからおせわになりますのに」と言ってくれた。先に降りてから頭を下げると「ことはさん」が立ち上がって手を振ってくれた。
コピー用紙を、売っている商店が閉まっていたので上本町の近鉄百貨屈に行くことにした。5階に上がりコピー用紙売り場に行くと子どもの視線を感じて小柄な母親に抱かれた乳児10か月くらいだろうか私を見ていることに気づいた母親が、子どもを私に向けてくれた。
すると赤ちゃんは、ニコニコ笑いながら手を振ってくれるではないか。
父親も周りの店員さんも不思議なことに出会ったように笑顔になった。
私が、行こうとするとまたニコニコと手を振ってくれるので、立ち去るのが、惜しかったが「私に幸せをくれた赤ちゃんにお礼を言いますjと言った時みんなも幸福そうな笑顔になった。ひとりの見知らぬ赤ちゃんが私を選んでくれた笑顔が周りを温かい空気に包まれて不思議な、不思議な喜びを見知らぬひとにも幸せをくれたのである。
※エンゼル保育園出身「ことはさん」と見知らぬ赤ちゃんとの出会いを平成18年度の出来事を書き込んでいたノートを読み返したのだが、ことはさんと赤ちゃんの持つ力が私を幸せな職業に65年という歳月を、勤めさせてくれたのだと改めて考えさせられた幸せな時間であった。