キム・ビョンス(韓国在住)
私は高校1年から思うところあって一人で手続きをして京都の高校にいわゆる越境入学しました。生活は寄宿舎生活です。京都の左京区にあったこの高校は自然に恵まれ都心からも離れ落ち着いた学校でした。私が入学した前年、この高校はコンクール始まって以来はじめて地方学校の京都が優勝しました。それまでは東京の高校が中央の面子にかけて何をおいても優勝してきた歴史があります。
さて、途中入部となった私は大阪からきたことや足が不自由なことなどから先輩方から非常に可愛がっていただきました。特に忘れられないのはチョン先輩です。日曜日のバンドの練習のときにやってきては私たちと一緒に練習してくれました。大先輩が来て一緒に横で吹いてくれるほど何にも増す励みと勇気を与えてくれるものはありません。
ある日私は楽器を下げて京都三条京阪駅前のキャバレーの裏口からサックスを教えてくれと勇気を出して楽屋を訪ねました。すると、"なにしにきたんや!ここはおまえが来るとこちがう!教えてほしかったらおれが毎週行っておしえたる!"まさにそのチョン先輩がそこのバンドメンバーだったのです。高校を卒業して間もないのに京都のキャバレー界で"ベラミ"といえば大御所です。そういうところでメンバーとしてすでに働いていたチョン先輩の実力たるや相当な腕前だったのでしょう。余談ですが、"イムジン河"をフォーククルセダーズに歌わせた松山猛さんに"イムジン河"の楽譜を渡したと言われるサックスの厶ン グワンスさんは同じ高校ブラスバンド部の2つ上の先輩でいつも体育館で一人で練習しておられた姿が今も目に浮かびます。サックスという楽器は特に低音をスムーズに発声するのが難しい楽器ですが厶ン先輩は非常に柔らかく低音を発声されていていつもあこがれていました。
1年の終りごろの春休みに大阪に帰って兄弟や友人たちに会うと無性に懐かしく里心がつき大阪に戻りたくなりました。
いよいよ私の障がい人生の一大事故が発生します。(つづく)

