あやめ保育園園長室の電話のベルが鳴った。
「園長先生! 私、明日退院できるのよ」
「うわぁーよかったね!じゃ、明日お昼ご飯を私の部屋で食べよう」
「給食室に頼んでおくからね。きっとよ、約束だよ」
私は、しつこいくらい念を押すと彼女は来ると約束をしてくれた。体調を崩していた彼女は、入院していたが、一カ月で退院できるようである。
彼女は、青白い肌の色が透き通るように綺麗で黒い瞳が大きく、男児と女児二つ違いの子どもたちは、母親に似て色白の目鼻立ちの整ったしっかりした子どもを授かり、義父と共に5人家族で暮らしているが口数の少ない女性であった。
夫の義父の娘は近くに家庭を持ち、義妹は気立ての良い優しい人で、子どもたちを大切に可愛がってくれている。
義父は私の園長室を毎日のようにノックして、おしゃべりをして行くのだが、核心の問題に触れず取り留めのない話をするだけであった。
私が核心に触れないのは、辛抱強く待つという姿勢を崩さないからだろう。
家族の内情に義父も一歩、踏み出せなかったのは、遠慮があったのかもしれない。
しかし、それが、私を二日も待たずどん底に突き落とされる結果を招いた。
次の日、彼女は園長室の扉を静かにノックし、柔らかな笑みを浮かべて入ってきた。給食室に電話を入れて彼女が来られたので給食をお願いした。
給食を頂きながらとりとめのない言葉を交わし、一時間半ほどいただろうか。彼女は、食事の終わった私の給食盆と自分のお盆を重ねて丁寧な挨拶をして園長室から帰っていった。それが彼女と最後の晩餐になるとは想像もできなかった。
二日を置いただろうか。担任保育士から彼女が、亡くなり明日が葬式だと聞き、私はあああーと声もなくへたりこんでしまったのは、とても葬式に行く気力のない自分の心の不甲斐なさ、葬式への出席を担任保育士にお願いしたが、涙も流れず虚脱感だけが私を襲ったのである。
25年も前に起こった彼女の死は、私に言えない苦しみを背負い自分の安息な場所に逃避したのだろうか。私は現実社会が嫌になってしまったのは誹謗中傷という恐ろしい世界を、私を苛む事態を想像できなかった。私の考える世界は、いつもメルヘンの世界だったのだろうか。
違う!? 苦しい事もあった。嫌な事もあった。其れ以上に保育園の子どもたちとの生活の喜びは深く楽しく私は、福祉事業を放棄する考えは一度もなかった筈だ。人間が誠実に生きるために私は、夢を追っていただけなのか?
神戸の武田設計事務所の大学教授にお願いしたあやめ保育園施設は子ども遠の将来にわたる夢と希望、志を人間性の礎を託す最大の贈り物として創り上げたものであると私は自負していた。
それを周りの人間の欲望が捻じ曲げられ自分の物にしたがる人間の醜さを露呈し、薄汚れた汚物のように私は醜いアヒルを寝屋川市に残してしまった。
どこにも薄汚れたものは、無かったはずなのに人間の俗悪さが、私をここ迄、追い込まれてしまったのだ。
誹謗中傷を受けることが、私をこれほどに苦しいとは…現代社会の子ども達に起きているいじめの問題、親の虐待問題。最近の旭川2件の事件。教師のわいせつ事件等後を絶たない。結愛ちゃん事件の追悼もありました。スーツケースに詰め込まれた子どもの死体を草むらに捨てた非道なケース。それにもっと脅しいニュースは、ゴザで行われた900人の子どもたちの四肢を切り落とした残虐な行為。戦争、紛争はどこまで止むことのない現代社会を破壊するのか。父親殺し、母親殺し、私には、もう居場所がない。
私の居住するマンションには、私への誹謗中傷、管理人のセクハラ問題等で私を、毎日のように不審者のような目で見る人、子どもを近づかせないようにする人、挨拶も交わせないのは私と接触したら何を書かれるかわからないと用心する人達。私は叫びました「私を殺しなさい」知らないうちに噂は静かに消えるでしょう。黙っていれば、社会も時が忘れてくれる。
地方に住みなれない私の下手さが、露呈したのか。生活に行き詰まり戻ってきた私を温かく迎えてくれた住民のかたもいる。私を徹底的に憎み、出勤を停止させるまでカを発揮した首謀者A、B、C(マンション中に大声で誹謗中傷をばらまいた)私といかにも信頼関係があるがごとく吹聴して自分の手元に収めた女性掃除管理人D。マンション男性管理人Nは私の帰宅時、いそいそと後ろからついてきたうす気味の悪さは、私の小さな叫びを聞き遠のいた。それからは管理人Nがいる時間には一歩も外に出られなくなった。
※マンション玄関に設置されている吉田の室内呼び出し部分に外国人が来た場合、管理人にお知らせくださいとペンキで書かれて消せないようにしている。
今は、会えなくなったあなたにもう一度、会いたい。あなたの苦しみ。悲しみを今だったら少しは貴女を癒せる言葉とメロデイーを共有できるだろうか。
あやめ保育園の卒園式だったと思う、あなたの義妹が、式の途中でハンカチを口元に抑えて会場を出て廊下から、堰を切ったように激しく泣く声が聞こえました。この場所に長男の卒園式に参加できなかった義姉の存在を思うと鳴咽を抑えられ、なかったのでしょうか。
義妹さんに会って二人であなたを心から偲びたい。あなたを忘れない二人がいます。
私は、地域貢献事業室として個人財産のローンが終わったので寄付して法人施設課の了解を得てエンゼル保育園の預金から、3階倉庫、2階男女別の休憩室、シャワ一室、一階を地域貢献事業室として活動を始めたのは、あやめ保育園を退職して地域貢献事業室に席を置いたわたしを、住民の方から現代社会の老人世帯が、様々な問題を抱えているから、力になれないだろうかとお話を頂いたからです。
しかし、それまで別の案件があり、携わっているうちに好転してきたので住民の方のご要望に取りかかるべく思案していたのだが、私のマンション内で誹謗中傷事件が起こった。
25年前に起こった彼女の死をいま私は、彼女の苦しみを理解する力のなかった貴女の側で見守り、私は弱いのか強い人間なのかわからなくなりました。
至るところで、誹謗中傷は、人々を苦しめ自死を選択する内容も多岐にわたり小さな子どもから小学生、中学生高校生に、至っています。
ジャーナリスト伊藤詩織さん事件は日本を捨てて他国で生きる道を選ばずにいられない境遇になりました。逆提訴を受けて莫大なお金を支払うことになるのでしょうか?リュウチエルさんの事も私には、忘れられないのです。
父親殺し、母親殺し、高齢者の放置事件、結愛ちゃん虐待問題の追悼も報道され大人の不甲斐なさをお詫びした言葉もあります。
私は、長年、仕事をしてきましたが、幻想の中でもがき理想像を人間に求めていただけなのでしょうか。
「保育園を自分だけのものにして兄弟に分けなったからひどい目にあったのよ」
骨の砕ける音。肉の剥がれる落ちる声が聞こえたように思った。
そうだ・子ども時代から、ことあるごとに投げられてきた数々の言葉を蘇る。
そして、同窓会に参加するか否かで神経を使わせていた同窓生の男性に対する言葉を如何にもなにかありそうに平気な言葉を出す女性、もううんざりだ。
皆さんもうやめませんか、優しい心を取り戻しませんか?
これからの日本を新しい気持ちで頑張りませんか? 心よりお願いいたします。
2024年7月22日吉田公恵